通り道に秋祭りの掲示がありましたので、紹介します。
<その1>
(中野本町)
昨年、曳行が復活。
だんじりの中で最大級の大きさ。
高さ約5m10cm、道路交通法ならぬ、道路曳行法?の標識板に当たるため、20cm縮小される。
推定明治14年前後の製作、彫物師「彫友」?系の彫物。
「彫友」?とは、「彫清」と親戚のような彫。大東四條畷方面に数台の地車があるが、仔細は未だに不明。
堂宮大工「大重」こと田中重太郎氏との関係は大いにあると考えられる。
<その2>
(岡山)
数年前、屋根裏から縁起書が発見され、天保九年作。
彫物師は「服部系?の彫物。
正面のシガミのみ「相野」さん。
かって岡山地区に二台の地車があり、一台は昭和三十年代に枚方市招堤へ売却。
その地車は、日置天神社の向って右端にある北河内型の大きな地車です。
<その3>
(打上)
◎打上上(東)
慶應四年(明治元年)、小松福太郎作。
懸魚、桁隠、木鼻、枡合の獅子、見送り車板などは、福太郎の作、その他は不明。
見える場所に「銘」があり、探してみよう!。
◎打上下(西)
推定明治十四年、木鼻、枡合の獅子、麒麟と見送り車板などは、バリバリの八代目源助の作。
その他の彫物は「彫友」?との合作のような彫物。
見える場所に「銘」あり、探してみよう!。
●早朝に行けば、飾りなしの彫物がみられます。
くれぐれも、準備作業のじゃまにならないように!。
<その4>
(深野北)
明治三十四年ころ、寝屋川市木田から購入と聞きます。
そのときに、シガミ二枚、懸魚、桁隠、泥幕の彫物を取替え追加されたと思われます。
取替え、新たに追加された彫物は「彫清」作、その他、元の彫物は、「花岡」系?の彫物と思われます。
早朝に行けば、台棒なしの泥幕の獅子が見れるかも!
くれぐれも、準備作業の支障のないようにおねがいします。