彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2014年11月

前回の堺区よりも寺社数は少ないが、堺北区にも目を見張る彫物があった。
 
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(愛染院)
ここのお寺さんの彫物は、少々古いタイプの獅子鼻が彫られている。
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(愛染院)
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蟇股には、こじんまりとした龍。
 
ここのお寺さんには、またまた伊兵衛さんか?
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(西教寺)
 
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正しく、伊兵衛さん彫!。
 
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裏面に波頭の彫、中央にポッチャン波。
 
獏鼻
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お寺さんの話によると、解体修複の際に手挟の彫物を新しく換えたそうです。
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おまけ
本日のだんぱくから
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今年度は、水引幕の展示です。
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ここのお寺さん、
山門や本堂の蟇股、木鼻に彫物と言える彫物は、一切彫られていない。
たが、、、
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(宗泉寺)
山門の屋根の切妻奥に、何ぬ!、
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こんなところに超一品の彫物が、
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おっ、親唐獅子と二匹の児獅子ではないか!。
お顔が取れていて残念だが、
どこかで見たようなポーズ、もしかして?
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反対側の方を見に行けば、何と伊兵衛さんの龍だ。
正しく、伊兵衛さんのオリジナル間違いなし!。
何気なく通過してしまえば、それまでだが、こんなところに超豪華な彫物があるとは・・・
驚きました。
 
つづいて、次のお寺さん。
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(月蔵寺)
ここの山門には、
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司馬温公の甕割りの彫物。
内側には、
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唐獅子の彫物、
外側と内側とでは、彫の系統が異なるような?。
 
ここのお寺さんの蟇股は、
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(大福院)
甕の上から水が噴き出ているが、これは何を表したものか?
小生にはわからない。
 
月蔵寺付近の絵地図看板。
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ここのお寺さんの山門には、ものの見事な応龍の彫物がある。
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(萬福寺)
互いに向い合う、阿吽の応龍。
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裏面には、波頭づくしの彫刻。
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山門内側の蟇股には‘雲に麒麟’。
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彫物師は不明、彫の系統から彫又と思われる。
 
雲形絵様の木鼻
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こちらは山門の屋根の妻、‘波に兎’と菊?の彫物。
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本堂の象鼻
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本堂の蟇股の龍
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この龍の彫物は、たぶん服部満朝さんの彫か?。
 
山門と本堂の彫物とはあきらかに彫師の系統が異なり、
本堂の彫物と山門のを比べれば、山門のほうが新しいと思われる。
 

堺市には多くの寺院があるが、ここ堺区内にはその大半が集中する。
大半と言っても、そのほとんどが新築、鉄筋コンクリート仕様に代っているが、
戦災や大火を逃れ、かっての古建築様式とそれに伴った絵様意匠を持った寺院も数少なく残っている。
 
そのひとつに、この寺の本堂は新築だが、鐘楼は当時のものである。
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(願専寺)
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(願専寺)
梵鐘の碑文から明治三十三年建立だが、本堂に彫られる彫物にも劣らない迫力である。
 
 
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(徳泉院)
これは些細な蟇股の彫物、‘竹に虎’でしょうか?。
 
ここは、堺区で一番大きなお寺さん。
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(本願寺堺別院)
ここの山門の彫物は、‘菊’づくし。
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山門は火災に遭っていないことから、享保十三年(1728年)の建物。
 
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この麒麟は、鐘楼の蟇股。
 
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こちらは、本堂の麒麟。
金網で見づらくなっているが、伊兵衛さんのポーズ。
 
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同じく本堂の龍。
首が欠損しているが、伊兵衛さん風。
この本堂、文政八年(1825年)の再建、彫刻は相野伊兵衛さんとは言えないが、
相野系には間違いないと思う。
残念ながら、木鼻は象鼻である。
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信證堂の扉も菊づくし。
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堺市津久野にある踞尾八幡神社。
かって源義経が屋島へ赴くとき、この地に避難し馬鞍を奉納したといわれる由緒ある神社。
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拝殿の建立は、文化元年(1804年)と伝えられているが、彫物形態からもう少し後の時代と思われる。
懸魚に彫られた‘菊づくし’。
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蟇股に彫られた、未だかって見たことのない瑞獣。
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鳳凰の頭と足先を持った、麒麟風の獣。
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名前は何というのかわからないが、和漢三才図会にも載っていなかったと思う。
何とこの獣と同じものが、京都の瀧尾神社におつた。
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(瀧尾神社)
拝殿の獏鼻と獅子鼻。
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拝殿廻りの蟇股。
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唐子遊び
 
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甕割り
 
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松に鳩?
 
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楓に雉?
 
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この唐獅子は、‘彫又’さんのよう。
 
拝殿内部に彫られた龍。
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鴨居と天井との間にはめ込まれている。
もともとこの位置にはなかったと思われるが、彫は秀作。
 

恩智といえば、恩智神社にも彫物がある。
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(恩智神社拝殿)
恩智神社の拝殿は、平成十二年に建て替えられたが、祭神を祀る本殿は明治二十五年の再建である。
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(天児屋根命の本殿)
 
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(大御食津彦大神・大御食津姫大神の本殿)
天児屋根命社の龍
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同じく獏鼻
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大御食津姫大神社の龍
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大御食津彦大神社の龍
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同じく獏鼻
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この龍と獏鼻の彫物、四條畷、大東方面に多くあるだんじりの彫物に一致する。
彫物師は不明だが、中野地車に書かれていた‘彫友’?の彫に間違いはないと思われる。
社堂御用達の宮大工「大重」こと田中重太郎氏は、四條畷神社の造営を任された宮大工。
高宮大杜御祖神社や御机神社など、北河内近辺の多くの社寺を手掛けているが、再建年代からこの恩智神社にもかかわっていたのでないだろうか?
 
 

いよいよ今回のシリーズも最終回、小中浦のねり車の登場です。
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何と三台のねり車の内、シガミの付いているものは、この小中浦のねり車のみ。
このシガミと懸魚の彫は、初めて見るタイプ。
 
昭和六十一年刊の小冊子「小中浦百年のあゆみ」には、
明治三十一年に新調、大坂の小松源助に注文したと記載されている。
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(「小中浦百年のあゆみ」より)
後面の彫物
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牛若丸の修行、この部分は、九代目小松源助か?。
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何といったらよいか?
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側面
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正面の彫物
 
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景清のシコロ引き
このところは、赤金さんかなぁ?少々ぎこちないポーズ。
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左と右の彫物師が異なります。
 
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これは、九代目小松源助?。
 
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この‘鷹と猿’の彫は、完璧な九代目小松源助!!。
 
なお、今回の連絡、資料などを頂いた平野区の木下さん、東雲写真館のSさん並びに
町見郷土館の高嶋さんへこの場を持ってお礼申し上げます、
ありがとうございました。
 
 

伊方町の山車も残すところあと一台の紹介となりましたが、
ここで一休み、
曳行中に取り付けられる、これもまた超豪華な刺繍飾幕をご覧に入れよう。
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(湊浦)
これは湊浦の下幕、
彩色されているが、これでもかなりの迫力。
曳行には、の刺繍幕が上に被せられる。
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(湊浦)
これは中浦の刺繍幕、これもまた絢爛豪華。
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(中浦)
この小中浦の刺繍幕もお見事!
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(小中浦)
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(小中浦)
さて、曳行には太鼓、鉦、三味線で囃されるが、その奏でるひとは、何と本職の芸者さん。
芸者さんのスタンバイ!、風流のある囃子です。
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伊方町にあった標語。
サラリーマン新入社員当時には、「ホウレンソウ」のことを教えられるが、
ここでは、子供のための標語「イカのおすし」?!。
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つづく・・・。
 

伊方町の山車、「中浦」のねり車。
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前回の「湊浦」とほぼ同じ大きさ。
製作年は、明治拾年と伝えられている。
 
二階部には、武内宿祢、応神天皇と神功皇后の人形が乗せられる。
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高欄周りには、‘竹に虎’
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‘鳳凰’
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‘龍’
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それと蓑亀と蛇を彫った‘玄武’?
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以上の彫物から推察すれば、明らかに八代目小松源助の彫。
何と、内部に墨書きが残されていた。
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人がこの中へ入って書かれたものか、文字が暴れている。
 
懸魚の応龍
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正面の唐獅子
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つづく・・・。
 
 
 

伊方町とは、どんなとこ?
と聞かれても、海と山に囲まれたのどかなみなと町としか言いようがないが、
周囲の景色をご覧いただければ察しがつくだろう。
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かって、秋祭日は固定された日に行われていたがここ近年、十月第三日曜日に変更されている。
祭には、ねり車三台のほか、巨大な牛鬼、
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獅子舞、
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神輿がある。
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この神輿は、数年前に新調されたものである。
氏神の八幡神社
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八幡神社の本殿の麒麟鼻
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もうひとつ、伊方町で忘れてはならないことがある。
この人が、伊方町(半島の中半に近いところ)の出身である。
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あの青色発光ダイオードの量産製造の発明者、中村修二博士である。
 
さて、この伊方町へはどのようにして行くのか?といえば、
手っ取り早いのは、高速バスの利用である。
梅田阪急からバスは出ているが、昼間だと時間がもったいないので夜行を利用する。
何かと最寄りのバス停寄るので、梅田から終点八幡浜駅前まで約8時間20分かかる。
八幡浜駅からは、伊予バスに乗り換え、終点の伊方町役場前で下車。
乗車時間、約50分内で、日に四本程度の運行。
JRを利用するのなら、岡山駅まで新幹線、
岡山駅から松山駅まで特急しおかぜで、約2時間40分。
松山駅から八幡浜駅まで特急宇和海で、約50分かかる。
こちらでは、車窓からの景色が満喫できる。
 
つづく・・・。
 

まず三台の内の一台、湊浦の山車。
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地元では、この山車のことを‘ねり車’と呼んでいる。
非常に簡素な作りだが、取り付けられた彫物は極上の彫。
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正面の彫物。
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後面の応龍。
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向って右側の巨大な龍。
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向って左側の巨大な龍。
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正面下部の波頭。
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泥台の組は、関西のものに似ている。
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製作年代は、地元の記録によると天保年間で明治初期の更新と聞く。
彫物師は不明だが、彫物形態から明らかに小松源蔵である。
 
つづく・・。

今回、このシリーズ「‘小松’行脚ロマンの旅」もいよいよ大詰め、
「海を渡った小松」として、四国にも小松がありました。
今から六年前、平野のKさんより「ここにも小松源助がありますよ。」との連絡。
その当時、「そんな遠いところへ行かれへんわ~」と嘆いていました。
だが、二年ほど前から資料を集め、今回行脚が達成されました。
 
その場所とは、愛媛県西宇和郡伊方町、ここに鉾タイプの山車がある。
地名を聞いてもピンとこない、そうここである。
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愛媛県、最西端の佐田岬の付け根あたりに位置する。
あの伊方原発のあるところでもある。
伊方町八幡神社、ここに三台の山車がある。
何と三台とも、‘小松’なのである。
それも、源蔵、八代目源助、九代目源助とまさに棚からぼた餅
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彫物仕様は、源蔵と八代目源助は神獣霊獣もの、九代目は武者物中心とそれぞれの時代に反映した彫物となっている。 そして彫物は、すべて極上に仕上げている。
 
つづく・・・。

橿原市膳夫町に小松の太鼓台があった。
膳夫とは、かしわてと読む。
屋根には、色取りどりのカラフルな飾りつけ。
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狭間の欄間には、虎、唐獅子、龍が彫られている。
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恐らく彫忠カラーでの仕上げ!。
 
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正面と後面の中央部の高欄を省き、擬宝珠がある。
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高欄合には‘波に千鳥’。
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この龍は、八代目のモチーフ。
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墨書きは、消えかかっているが、「彫工 大坂 小松」の文字が読める。
 
拝殿に飾り付けられた太鼓。
曳行のため、ワゴンのような台車に載せられている。
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(膳夫 三柱神社)
 
 

吹田市江坂神社には、太鼓神輿と呼ばれる、屋根のない催し太鼓風の太鼓台がある。
墨書きに「嘉永六年・・・」とあり、彫物内面に貼られている朱布で隠れているためか発見できなかった。
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ここの彫物、何と‘小松’。
彫物は泥幕に虎と獅子、高欄合に‘二十四考’、縁葛に‘群馬’と彫物点数は少ない。
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「牡丹に唐獅子」
 
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「竹に虎」
 
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「二十四考」の一場面、虎が出てきてびっくり!。
 
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「群馬」
 
右端に「彫工 大坂 小松」とある。
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嘉永年間なので、小松源蔵時代のものである。
 
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町内を台車に載せて曳行。
 
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御神燈の龍の飾金具も年代ものの高級品!。
 

天理市櫟本の和爾下神社には、四台の太鼓台が集まって大変賑わうが、その一台に小松があった。
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(膳史町)
社殿型の屋根の太鼓台、
彫物の点数は少ないが彫物を見れば、何と小松彫。
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それも、源蔵さんタッチ。
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この獏鼻、以前紹介した社寺彫刻を見ていただければ察しのことだろう。
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