彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2015年06月

これは‘凄い'と思わせる彫物に出くわすことがある。
この脇障子も大胆な構図で、今にも迫ってくる勢いのある彫刻ではないか。
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(八坂権現)
こちらは、あっさりとした彫刻絵馬額。
長寿を願う浦島太郎伝説。
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(博西神社)
ここの山門の龍の彫物、眼に那智黒石のようなものが入っている。
かなり古そうに思われる。
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(西念寺)
ここのお宮さんの龍も勢いがあります。
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(郷社月於神社)
この獅子鼻、
明治後半の‘小松'のように見えるのですが・・・?。
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(豊玉龍神社)

一見、だんじりに使われていたような懸魚に思えますが、
お寺さんにあったので、小さなお堂のものでしょう。
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(西稱寺)
おっと、これは‘彫又'さん!。
見るかぎり、板高欄のだんじりに使われていたような彫物。
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クローズアップすれば、弥三郎さんの秀作に見えます・・・。
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今期、この彫物師さんに初めてお会いできました。
この龍の裏面に何と・・・、
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「小松」とは書き入れていないので、‘小松'からの仕事でないのかも。


張ド級の獏鼻、かなり大きい!。
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(西光寺)
この周辺の再開発整備により、余儀なくコンクリートのお寺さんに変身!!。
以前、訪れたときには、りっぱな切妻の本堂があったが、
今は境内も縮小され、当時の面影は一部の彫物を残すのみ。
浪花の彫物師の作ではないが、この獏鼻はすざましく、超一品である。

ここは、まだ太子町へ訪れるまでの河南町。
彫物は、龍と獏鼻の三点セットのみ。
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(大念寺 迎接院)
この龍を見る限り‘彫又'さん。

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河南町方面は、だんじりにしても‘彫又'による作が多くあり、やはり堺との街道に沿った文化が発展したと考えられる。

途中の公園で観た意外な光景。
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可愛らしいキリンさんのシーソーの遊具だが、
よく見ると‘さらし首'が置いてあるように見える不気味なシーソー。

サギの仲間ので最大級の‘アオサギ’。
田んぼに降り立った二匹、つがいかなぁ?。
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何故か小屋が開けていた‘東條'の舟だんじり。
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(東條)
昨年、解体修理され、天明七年未(1787年)、佐武宗七の墨書きが発見された。
現段階で関西方面のだんじりと呼ばれるものの最古のものである。
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この仙人は、‘呂洞賓'かな?'

なぜ小屋を開けていたのかいうと、
そう、七月末の祭りに向けての提灯、幟の準備でした。
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(西町)
おっと、ここのお寺さんの山門に獏鼻がありました。
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(林光寺)
この獏鼻、よく見れば「藤七彫」ではありませんか!。
残念ながら、彫物は獏鼻一対のみ、もうひとつ何かの彫物をつけてほしかったです。

彫物の宝庫と言えば、科長神社。
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(科長神社割拝殿)
拝殿正面には、この龍の彫物が・・・。
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この龍は、伊兵衛さんバージョン。
つづいて、竹に虎。
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鷹?と猿
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獅子鼻
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この獅子鼻、顔つきはこちらに近い。↓

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(川面)
以前、紹介した、川面のだんじり。
どうしても、川面のだんじり=伊兵衛 とは言い難く、
もう一人の伊兵衛として定めたが、未だに疑問が残る。

こちらは、大念仏寺霊明殿の獅子鼻。
この木鼻は、伊兵衛さんのにおいがしているのですが・・。
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後編につづく・・・。

二条城の唐門をくぐると表玄関の‘車寄'と呼ばれる玄関がある。
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この面に彫物が4点ある。
まず、正面中央蟇股に赤に彩色された唐獅子。
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中央の欄間の左右に、三つ葉葵の紋を模して縁取りその内に‘錦鶏'の瑞鳥の彫刻。
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中央の欄間には、五匹の‘鸞'。
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この‘鸞'の彫刻欄間、私は国宝級の彫物と見てもよいのではと思う。
外装面では、この玄関以外での彫物はなく、二の丸御殿内には、花鳥物の欄間など多く装飾されている。
‘遠侍’と呼ばれる座敷には、厚さ35cmの一枚板に孔雀の欄間彫刻されている。
もちろん内部は撮影禁止、この孔雀の欄間も通路側から斜め上に見上げるだけで、薄暗く何が彫ってあるのか全体像がつかめない。
この点は、何とか見学できるようにしてもらいたいものである。

二の丸庭園
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大広間の棟、破風の‘鳳凰’の金具。
この装飾金具、かなり大きい。
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本丸御殿の玄関
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実は、この本丸御殿、
明治26年、京都御苑にあった旧桂宮御殿の移築。

玄関、大瓶束の菊の彫刻。
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何故か、サギのような大鳥が石垣の上からこちらをにらんでいた。
ドキ・・・・。

入母屋と唐破風屋根を組み合わせた社型(社殿風)または、大和型太鼓台の彫物には、
相野徳兵衛によるものが多く残っているが、神社の本殿にもこの徳兵衛の手によるものが多くある。

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(事代主神社)
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(事代主神社)

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(勾田春日神社)
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(勾田春日神社)

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(八剱神社)
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(八剱神社)

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(萬福寺)
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(萬福寺)

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(祝田神社)
この他、拝殿側から観た(覗いた)ところ、あと数件の徳兵衛さんと思われるものが確認された。
なお、上半期において「銘」が確認されたのは、以下の一件のみである。
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       『彫刻 浪花 相ノ徳兵衛 直信 花押』                             (八剱神社)

パッと観て、ほぼ相野さんと思われる彫。
本堂の向拝の彫物は、阿吽の獏鼻と龍の三点セットがもっとも多い。

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(大恩寺 大阪)
この龍を見る限り‘藤七’系の彫なのだが、細かいところを見れば藤七さんのオリジナルとは言い難い。
でも、獏鼻は、
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藤七さんのバージョンのようである。

つづいて、この龍。
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(誓願寺 豊中)
この顔を見れば、‘伊兵衛’系の彫。
獏鼻は、
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やはり、伊兵衛さんのバージョン。(少々彫は、弱いが・・・)

こちらの龍は、
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(専称寺 川西町)
どちらかといえば‘伊兵衛’系だが、この彫は‘もうひとりの伊兵衛’さんと考えている。
木鼻は獏鼻でなく、象鼻。

この龍は、・・・。
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(南渓寺 藤井寺)
中央の爪は微妙だが、伊兵衛さんかも?
ここの本堂再建年は、天保13年(1842年)。
木鼻は、残念ながら刳型様木鼻である。

こちらは、蟇股の彫物はなし、獏鼻のみ。
伊兵衛さんのオリジナルと思われます。
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(称名寺 奈良)

随分まえに見学したことがあったが、改めてこの唐門を観てその偉業さに驚いた。
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(二条城唐門)
数年前に修理修復され、新たに色彩優美な姿で蘇った。
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(唐門正面)
<霊亀>
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<松に鶴>
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<龍虎>
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<虎>
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彩色は岩絵の具のような色調で、立体感を持たせた技法、縁取りに金泥を使い絢爛豪華に見せる
この彩色法に改めて驚嘆した。
技のないものが、たんにきらびやかな色調で彩色しただけでは、このような美的感覚の素晴らしいものとはならず、必ずエグイものになる。

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(唐門後面)
<黄仁覧>
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<蝶(上部)と瑞鳥の錦鶏(下部)>
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<牡丹に唐獅子>
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(唐門妻部分)
九谷焼の唐獅子のような色彩

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西本願寺唐門よりも彫物数は少なく、懸魚に鳳凰や木鼻などの彫物はなく、彫刻としてはやや控えめであるが、色彩美には圧倒される。
日光東照宮陽明門と同様の仕事で、徳川家光の時代、寛政三年(1626年)の建立と見てもよいだろう。

2015年も、もう半年が過ぎようとしています。
ここで今年前半分、紹介できなかったところや、気になる彫物などをアラカルトとします。

<本殿の龍>
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(松原神社 尼崎)
ここの神社の本殿に凄い‘龍'があった。
拝殿から苦心して撮ったもので、肉眼では、ぼんやりと見えるだけ、
木鼻は、迎向きの獅子鼻で、この彫物もまじかでじっくりと見たい彫物である。

<本殿の彫物>
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(香具波志神社 大阪)
ここのお宮さんの本殿に何やらいろいろと彫刻してある。
写真は、屋根の妻の部分。
肝心の正面の彫物に何が彫ってあるのか、新築の拝殿に囲まれているので、まったく見えない。
今後の課題である。

<本堂の唐獅子>
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(西法寺 松原)
この唐獅子は、おそらく服部さん。
よく似たものを探してみれば、
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(伊居太神社)

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(田能春日神社)
つづく・・・。

天明期は、1781年から1789年の間、天保から数えて49年前、
明治元年から数えて87年前のこと。
ここにお寺の再建年が明白なので、一部紹介すると、

長岳寺(天理)の本堂再建が天明三年(1783年)。
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この龍よく観る顔、そう
以前紹介した‘謎の彫物師’・・・、意外に大きな鼻こぶとおおきくカニ肢のように広がる肢の爪。

獏鼻を見てみれば、意外と
龍の彫った彫師とまったく異なっている。
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龍の彫物のみ天明よりも後に取り換えられたとも考えにくく、
この龍の彫は、天明期ころと考えておきたい。
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(長岳寺本堂)
つづきまして、
浄宗寺本堂(藤井寺)、天明六年(1786年)の再建。
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龍の眼には、銅板を被せてある。
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同 獏鼻
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(浄宗寺本堂)
つづきまして、
光乗寺本堂(藤井寺)、再建は寛政四年(1792年)、天明の次の年号である。

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この龍もよく観る顔、そう
先ほどの長岳寺さんのとよく似ているが、
爪のスタイルが異なる。
獏鼻は、
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う~ん、私の観る限り、美濃村権○○○のタッチとみたいのだが、
結論は、不十分でまたの機会に・・・・。

中山観音と言えば聖徳太子が創建したと伝わる宝塚にある大本山中山寺。
安産祈願の観音様で有名ですが、ここのお寺さんにも彫物が・・・・。

比較的新しい獅子鼻と獏鼻
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(観音堂)
大黒堂の邪鬼
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(大黒堂)
獏鼻と蓮模様の木鼻
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(水掛け地蔵尊)
鐘楼の龍頭垂木
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(鐘楼)
・・・と彫物は、おしまいと思っていたが、本格的な彫物がここに・・・。

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(寶蔵)
この唐破風の軒に・・・・。
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明治期ころの建築と思われますが、仔細についての説明板はなかったです。
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象鼻
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(寿老神堂)
見逃しがちになりますが、よく見れば‘象鼻’。

本堂の軒廻りには、非常に美しく彩色された霊獣の画が・・・。

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(本堂)
犀(左)と虎(右)
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鹿(左)と霊猫?麝香猫?(右)
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孔雀(左)と鳳凰(右)
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唐獅子(上)と龍(下)
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閻魔堂(左)、水掛け地蔵尊、本堂(右上)
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四天王寺さんには、もう一つの唐門がある。
南大門の東側にある南唐門である。
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本坊唐門よりもかなり小さく、明治期の建立。
ささいながら、蟇股に三点の彫物がある。
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<その他の彫物>
南唐門の隣にあるものは、『太子井戸屋形』。
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彩色された花菖蒲と応龍
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蓮と鯉の滝登り
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太子殿にある『猫之門』の蟇股
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日光東照宮の眠り猫を模したものか、太子殿の聖霊院にも眠り猫があった。
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こちらは、太子殿の『虎之門』の彫物。
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こちらは、西通用門の蟇股。
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『英霊堂』の巨大な龍。
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櫻井義國作と言われているが、当彫師の知識がないため、検討不能。

四天王寺中門と五重塔
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四天王寺さんの唐門と名の付く門は、二門ある。
これは、本坊のある唐門。
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この唐門に、お見事な龍の彫物と獅子鼻がある。

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この彫を見る限り『藤七彫』なのだが、
龍の彫物に関しては、「藤七」のオリジナルとは言い難い。
つまり、波頭や龍の爪の彫が異なり、角の形状がオリジナルの藤七のように鋭くないことがいえる。
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この唐門の表側は、素晴らしい見ごたえの彫刻を施しているのだが、
裏側(本坊側)には、何故か彫物らしい彫刻はされていないく、実にあっさりとしている。

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(四天王寺本坊唐門 裏側 )

後編
西光寺さんの本堂の彫物
象鼻に、
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これは、応龍でしょう!、
奈良彫?というものでしょうか。
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(西光寺)
浄光寺さんの鐘楼
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こんな隠れたところに、獅子頭がありました。
同じく本堂の象鼻と
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龍です。
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同じく山門には、驚くべき・・・。
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これは、おそらく‘松雲’さんだ。
門内側には・・・、
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これは小松の獅子鼻、これも‘松雲’さんの彫に違いないぞ!。

こちらのお寺さんには、見事な造形の象鼻が、
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(泰楽寺)
蟇股の親子唐獅子もお見事の彫。
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聞くところによれば、天保二年の再建の本堂です。<優作>

ここのお宮さんには、かっての飛行機のプロペラが奉納されています。
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立派な楼門です。
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楼門の彫物、
松に鷹?でしょうか。
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(矢田坐久志玉比古神社)

ここのお寺さんは、‘あじさい寺’といわれています。
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(矢田寺参道)
多種多様のアジサイが咲き誇っています。
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ここのお寺さん、北僧坊にこの彫物がありました。
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(矢田寺北僧坊玄関)
南僧坊には、残念ながら頭の欠損した鳳凰です。
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(矢田寺南僧坊山門)

おわり。

今回は、大和郡山の西側編。
ここのお宮さんには、
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(杵築神社)
‘牛’さんの蟇股に獅子鼻と獏鼻、それと
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絵馬も近代的な描法、
なかなかのアート作品です。
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ここのお寺さんには、ここに装飾彫物がありました。
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(松尾寺 七福神堂)
提灯に隠れてよく見えませんが、山鵲のようでしょうか?。
元治元年(1864年)再建、大黒天が祀られているこのお堂、
獏鼻は、先ほどの杵築神社のと似ています。
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(松尾寺 七福神堂)
松尾寺の三重塔
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ふと、目に留まった「大魔神」のポスター。
小学2年生のとき観て、たいへん怖かったです。
えっ、映画館は、どこですって・・・、
もちろん地元の『平和座』です。
この近くでは、他に『ナワテシネマ』とかありました、 すごくマイナーな話です。
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つづいて、こちらのお寺さんの鐘楼。
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(西光寺)
この龍、何故か‘赤金’さん風です、と思ったら 向かい側には・・・、

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おっ、こちらは‘松雲’さん風!。

続きまして、そのお隣のお寺さんの山門には、
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(正念寺)
何と、こちらの龍は‘赤金’さんのよう。

謎の石造物?!
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(お隣の公園)
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と思ったら、十二支のオブジェでした。

つづく・・・。

ここのお寺さんの本堂にもバラエティな彫物が・・・。
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この獅子鼻のかしげ方をみれば、京都で見かけるような。
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<蟇股>
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この裏面に・・・、

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村上秀山とは、何者ぞ!
データもいっさい手がかりなし・・・。
向拝三面に唐獅子の彫物がある。
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応龍は、3D方式?。
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だが、足の付け方を見れば、江戸末期や明治期の仕事でないことが判る。
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