彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2015年12月

謎の多くある小松福太郎さん
それでは、その彫物を観てみよう!。
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打上上

この鳳凰を見るなり、
八代目源助と全く同じデッサンで、向きが違うのみ。

八代目の鳳凰を観ると、
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中ノ町

打上上の一部のみ、八代目源助が担当していたのか?
はたまた、中ノ町の鳳凰は、福太郎さんが彫ったものか?
色々な考えが巡り廻ったが、

ひよっとして八代目源助が、やはり福太郎さんなのか?
とも思ってもみた。

次に鷹の彫物をみると、
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打上上

同じく福太郎さんの彫の、
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南新田・元町

それに比べて、源助さんのは、
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中ノ町

やはり福太郎さんと八代目源助と比べると、
源助さんの方がすきっとしたシャープなところが感じられると思う。

では、この力神は、福太郎さんなのか?
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打上上

つづく・・・、


もともと、ここのだんじりは、
寝屋川の木田のものと伝わっている。
明治35年前後に船に載せて寝屋川を下って運んだそうである。

さて、獅噛を見ると、
大屋根後と小屋根の彫が全く異なる。
正面と後面の獅噛は、‘彫清’の本家筋の彫。

本来、‘彫清’の獅噛三枚のセットは、ほぼ同絵様で仕上げる。
‘相野’や‘服部’においても、ほぼそろえるが、
‘小松’に関しては、前、中、後の獅噛の絵様を変える傾向がある。
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深野北

次に、車板の龍を見ると、
‘彫清’の彫とは言い難い。
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深野北

波のイメージからもほぼ以下の彫と推測される。
では、‘花岡’の龍を見てみると、
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都呂須

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北出

‘花岡’といっても、今のところ上の二点しかない。

唐獅子や麒麟を比べると、
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深野北

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都呂須

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深野北

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都呂須
ほぼ、彫の形態は同じである。
懸魚や桁隠、泥幕の彫に関しては、明らかに‘彫清’によるものと思われる。

次に後面車板の彫物
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深野北

この彫に関しては、
‘花岡’(花岡良造義信) の比較するものがない。
同じ系列の‘花岡源助’のものと比べると、
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東家

同雰囲気的なものが感じられると思う。

もともと、‘花岡’の彫のだんじりを、
転売時かそれよりも前に、‘彫清’の彫物に取替え、また追加されたとも考えられる。
いずれにせよ、
両彫物師の二面性を持った特徴あるだんじりと言えよう。

泥幕の彫は絶品!
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謎の多い小松福太郎
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打上上地車 後面

雌唐獅子下に
「大坂 彫師 小松福太郎」の銘がある。
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御幣に書かれた墨書きに
‘慶應四年’(明治元年)の年号がある。
ほぼこの頃の作と思われる。
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以下、福太郎の作を並べてみた。
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豊浦
このだんじりは、文久二年(1862年)作、
残念ながら、当時の福太郎の彫はわずかしか残されていない。

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南新田・元町
金銭連判書?から明治四年の年号がある。

ほぼ、上記三作の彫で、
福太郎の完成された唐獅子の彫がうかがえる。

さて、
福太郎が活躍した江戸末期~明治初期より十年後に、
次の小松源助が登場する。
どうもこの源助が、福太郎と同人物だ混同される。

福太郎と同じく、源助の車板の唐獅子を比べると、
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中ノ町 (明治12年)

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雁屋 (明治16年)

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奄美 (明治17年前後?)

口もとの曲線の流れは、福太郎のと源助のは似ているが、
福太郎の完成された獅子顔が、十年後にこのように変化するのは
考え難く、やはり福太郎と源助(八代目)とは別彫師と思われる。

つづく・・・

本日めでたく、大東市に在るだんじりが綺麗になって甦りました。
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まさに新品のような輝きとなりました。

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正面桁隠し(左)の麒麟

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正面車板の龍

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後面

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後懸魚の応龍

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後車板の‘劉備玄徳の壇渓渡河’

北河内型のだんじりに
この図柄を採用しているのは、このだんじりのみ
またしても、珍しい

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花台 力神

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柄振板 雲龍
柄振板に龍を彫るのは珍しく、これは当初オリジナルの彫。

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後枡合の‘雲に麒麟’と
虹梁下、左右に持送りの彫物を備える。

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縁葛 十二支の‘大根ねずみ’

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側面
このだんじりのメイン(最高)の超豪華な彫物が、泥幕にある。
当日は、拝む(観る) ことができなかったので、
修理以前の写真を紹介。
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最高!

冷たい小雨が降る中、行われた入魂式
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出来立てホヤホヤのカレンダーと粗品(紅白饅頭)をいただきました。
保存会、並びに関係者の皆様方、
本当にありがとうございました。


ここは寝屋川市のとある神社
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通称、打上神社の名で親しまれている。

ここの地のだんじりが綺麗になりました。
数十年前、屋根の葺き替えの小修理のみで
大掛かりな解体修理は、今回が初めてと考えられる。
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高欄幅を広く、重心をやや低めにとり、
曳行時に倒れないようにバランスを考慮した設計は、
急勾配のあるこの地を考えてのことだろうか。
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高欄下を受ける肘木と斗の組物は、
北河内讃良型独自のもの。
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たいていの台木のホゾは、2穴式で組まれるが、
ここのは1つのみで非常に珍しい。
(コマは新調)

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この鳳凰、
小松源助(八代目)初期の図案と同じで、
源助の持つシャープさに欠けるが、
ダイナミックな表現は、福太郎ならではのものだろう。
ちなみに、源助のものは右向き彫られている。

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正面の龍
この龍は、なかなかの出来栄えだが、
龍の構図から‘小松’とは言い難いところがある。
福太郎が最終的に仕上げを行ったのかはわからないが、
福太郎のオリジナル作でないと考えられる。

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南方風の力神

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間仕切りの花頭窓

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獅子鼻と獏鼻
木鼻のホゾ隠しの人物は、
福禄寿と大黒さん

つづく・・・。

これは何?
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寝屋川市歴史街道の案内でよく見るこの人。
猩々?
平安時代の貴婦人?
でもなく、寝屋川に伝わる民話、
御伽草子の‘鉢かづき姫’である。
来年2月に、このお話がミュージカルとして上演される。


北河内のだんじりの大屋根下の枡合には、
決まったように‘雲に麒麟’の彫物が彫られる。
麒麟の彫も彫物師一門によって、多少ながら形態が変わる。
それと同様に‘雲’の彫も異なる。

さて、小松源助(八代目)の彫を見てみよう。
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奄美
源助(八代目)の彫は、個々の雲が大きく、後期の作には、ひねり餅のような形状となる。

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雁屋

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打上下

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中ノ町

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辻ノ町
辻ノ町のは、対面側の麒麟の彫も異なり、上写真は、源助の印象(左)が強く表れている。

福太郎の彫をみると、
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善根寺

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南新田元町

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平野屋
作風の違いもあるが、個々の雲を彫るのではなく、二つないし三つの雲を連ねて彫る傾向があるといえる。

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辻ノ町
やっかいなのが、福太郎と源助が同席するような彫物?
ようわからん!!

さて、福太郎の銘があっても、福太郎のオリジナルでない雲と麒麟。
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打上上
ご覧のように、福太郎の雲の形状と全く異なる彫とわかる。
この雲の形状は、小松でなく「彫清」の彫で見られる。

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東諸福

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御領

ここは、とあるお宮さん。
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(八幡神社)
ここのお宮さんにも、ちよっした彫物が・・・。
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雲に鶴
この鶴は、うまく彫れている。

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彫物形態から、ほぼ大正~昭和期ころの作と思われる。
調べによると、この彫師さん、高野山にもあるみたい。
西川竹次郎の門下と云われている。


ここは、とあるお寺さん。
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(蓮光寺)
正面の蟇股は、いつもの彫物とちと違っていた。

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おおっ・・・、これは‘波に犀’の彫物。
正面(メイン)に彫られたものは、過去に一件あったのみ。
これは非常に珍しい!
しかも、上々の出来。

お隣の獏鼻を見れば、
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これはこれは、源蔵さんの彫のよう。
他の彫物といえば、
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向拝手挟の菊の彫物。
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この菊の彫では、判らない。

ご住職に尋ねれば、詳しいことは判らなかったが、
「ここの彫物は、たいしたことがない」とおっしゃった。

何の何の私にとっては、ここの彫はベストの出来栄え。
今までの観てきた源蔵さんの中で、最高の獏鼻と思われる。
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ちなみに、以前の源蔵さんと思われる獏鼻をあげると、
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五劫寺

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正念寺
正面の彫に戻って、
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「題簽欠」 享保三年刊より
「犀」とは架空の獣で、めでたい瑞獣として扱われるが、
もともと、インドかスマトラのサイを初めて見たものが、‘頭に角があり、体は亀の甲羅のように堅く、駆け走る’というイメージで伝承し、中国から日本に渡り、このような想像上の獣になったと思われる。
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さて、この犀、
小松源蔵の彫と実証するものがない。
というのは、源蔵さんの‘犀’の彫が他に見当たらないのである。
それは、困った。
どこか共通点はないかと探してみた。
波頭や雲はともかくとして、
耳の彫に共通点があった。

例えば、八代目源助さんの龍の耳は、源蔵さんのそれよりも長く、
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雁屋 (八代目源助)
源蔵さんのは、こじんまりとしている。
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犀 蓮光寺 
以下、源蔵さん( ・・・と思われるもの) の龍の耳をアップすると、
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善根寺

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湊浦

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上田原
ホヤのような形状と切り欠きがあるのも特徴と言えるだろう。
これ如何に?



ここは、とあるお寺さん。
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(神通寺 華経堂)
ここのお寺さんにも、よくみるような彫物があった。
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彫物を観る限り、浪花の彫ではないことが判る。
裏面には、但書き(銘)があった。
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そう、名古屋を越えて、静岡住の彫物師さんであった。
同じく、お隣の本堂にも、
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彫刻は、最近 (昭和60年) のものだが、
龍や獏鼻のスタイルから、どこやら?の彫師の影響を受けていると考えられる。


ここは、南海の孤島・・・・、
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てないし、ひょっこりひょうたん島でもサンダーバードの秘密基地でもない。(だいぶ古いTV番組)
東側に廻れば・・・、
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パノラマチックな光景が浮かび上がった。
そう、ここは琵琶湖北端の竹生島。
この島に国宝の唐門がある。
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実は、現在修理中、
目的とする処は、まったく見えなかった・・・、トホホ。
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完成年は、平成30年春、
今回の修理では、残されていた色調に彩色される予定である。
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上図のように、唐門とその奥の観音堂が組み合わさった構造になっている。
この唐門は、慶長元年(1596年)、大阪城北側の内濠と本丸とに掛けてあった
全長50メートルを越える巨大な装飾のある橋の遺構である。

そもそも数年前、オーストリアの某豪邸、城?に残されていた絵画に
大阪城の風景が鳥瞰図のごとく浮世絵として描かれており、その絵の大阪城の傍に、豪華な橋が
はっきりと描かれている。
もともと、どこかの大名屋敷か豪商家にあった六曲一隻?の屏風を明治期に売却し、その屏風が
タペストリー状に加工され、飾られていてた。
この絵画の発見により、幻の‘極楽橋’の存在が明らかになった。
その後、慶長三年(1600年)に豊国廟へ移築され、慶長七年(1602年)に竹生島に渡った。

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牡丹の桟唐戸 唐門

唐門正面の鶴?の彫物は、まったく拝めないが、それに続く観音堂の彫物は、見ることができる。
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獅子鼻 観音堂
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楓に鹿 観音堂

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鳳凰 観音堂

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組み物 観音堂
観音堂ととなりの神社とを繋ぐ渡り廊下には、
もと御座船 秀吉時代の‘日本丸’の遺構が使用されている。
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舟廊下 慶長八年(1603年)
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舟廊下部の舞台柱
清水寺の舞台、書写山圓教寺で見るような舞台柱

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錦鶏 都久夫須麻神社
この神社も観音堂と同様に、豊臣秀頼が慶長七年に京都の遺構から移築してきたものと伝わっています。
恐らく、伏見城や豊国廟にあったものであろうか。
いずれにせよ、徳川政権により破壊されずに大阪の文化が残されていたことにほほえましいことである。
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リゾート地のような光景

最近、ふと目に留まった彫物がある。
あるだんじりの木鼻である。
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(西諸福)
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この獅子鼻、どう見ても私は‘服部’さんにしか見えない。 (私は病気かも知れない?!)

三枚板の彫物は、別として
その他の彫物も、
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何故か、‘服部’さんのイメージが強く感じられるのは、私のみですかね?

‘辻田’さんの彫物については勉強不足で、あまり詳しく答えられないが、
やはり‘辻田’さんのだんじりには、以下の服部風の木鼻が見られる。
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(大友のだんじり)

これ如何に!




最初見たときは、拝殿の木鼻など金網に被されていたので、
よくわからなかったが、外側から本殿の彫物がちらりと見えた。
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(船待神社本殿)
この麒麟さんの彫は、、
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まさに、‘服部’さ~んだ。

そして表に廻り、拝殿の彫物を見上げたら、
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これはこれは‘服部’さん。
なぜ、最初から判らなかったのか?
そう、最初に見た蟇股の龍でイメージが相殺されてしまったようである。
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(船待神社拝殿)
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龍の頭のみ、後世に付け替えられている


川西市には摂津型太鼓台?が多くあるが、ここにはだんじりがあった。
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川西市 新田

彫物点数は少ないが、彫は‘服部’さんだ。
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少し古風な獅噛
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後懸魚には猿と、車板には虎の彫物。
この図柄は、服部さんでは初めて観る彫り。

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脇障子の唐獅子
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一見、藤七彫風のように見えるが、服部さんでしょう?

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唐破風は湾曲が大きく、江戸末期の優美さがうかがえる美しい屋根である。


お寺さんにお参り、いや訪問するうちに、
おっとコレは、というものに出逢うことがある。
ここのお寺さんの山門で見たもの・・・、
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(見性寺)
これはこれは、獅噛ではあるまいか?、
しかもコレは、たぶん‘だんじり’のもの!。
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裏面には、ちゃんとホゾ穴があった。
なぜこのようなものが・・・、と話は聞けなかったけど
彫物はこれのみ。

次のお寺さんにも同じようなものが・・・、
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(印山寺)
なぜかこちらをにらみつけている。
最初、その彩色から瓦製と思っていたが、
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左方の剥げたところを見ると、木彫り。
下部のところも湾曲し二本のホゾ支えも見える。

魔除けとして取り付けられたものかどうか、
ここのお寺さんも彫物は、コレのみ。

獅噛が山門に取り付けられることは、多々ある。
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来迎寺 山門

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光徳寺 山門

こちらは神社の山門
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誉田八幡宮 南大門


北野天満宮の中門、通称‘三光門’と呼ばれている。
日月星の彫刻されているところから、こう呼ばれているが、
星の彫刻のみが無とされている。
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三光門 表
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三光門 裏
この三光門にも彩色された彫物がある

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上部 唐獅子、中部 波に白兎、下部 竹に虎
二匹の兎の中央に三日月がある

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中央 蟇股 唐獅子

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波に犀

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桐に鳳凰

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錦鶏?山鵲?

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錦鶏?

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松に鶴

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獏鼻

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獏鼻
以上、三光門の彩色彫刻。

その他
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末社 松に鳩

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老松社 獅子鼻
この彫は、ほぼ明治期のもの
作風から京都彫物師 前川流と思われる。

巨大な牛石像
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なぜか、涙を流しています・・・・。 ドキ!



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