彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2016年06月

西宮の北方、甲山の麓に神呪寺 (かんのうじ) がある。
別名、甲山大師とも呼ばれ、弘法大師も祀られている。
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急な石段を登りつめると、正面に本堂がある。

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本堂 蟇股 
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どこかで観たような龍、
これは相野さんだ!!
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同 獏鼻

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同 手挟

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本堂再建は、天保11年 (1841年)であるから、
以上の彫物はその頃のものであると考えてもよいのでは?

隣の大師堂 大正元年(1912年)建立
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うむ、この彫物は…?、
‘松’は判るのだが・・・、
拡大すれば、
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松の上に蓮座があり、
その上に密教に使う“三鈷杵”という法具。
これは「三鈷の松」と云われる伝説。

弘法大師空海が、唐から帰ったときに三鈷杵を遠くへ放ち、
遠くの松の木に三鈷杵が引っ掛かり、瑞光を放していた。
この地(高野山)に仏教を開いたというはなし。

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同 手挟の梅
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多宝塔 (昭和55年落慶)

仁王門
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文化元年 1804年 建立

仏像以外、彫物らしきものが見当たらなかったが、
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同 木鼻

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ここに象さんに見える木鼻があった。

さて、本題!

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この龍、非常に伊兵衛さんに似ているが、
スタイルや肢形状が少々異なる。
ちなみに、彫の近いものを探してみた。
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高濱神社 (吹田)

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専稱寺 (天理)  弘化三年1846年再建

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南林寺 (吹田)
ここの龍はどちらかと言えば伊兵衛さんのよう。

獏鼻
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神呪寺

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南林寺

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高濱神社
以上の獏鼻は、何点か一致する箇所がある。
高濱神社の獏鼻は、伊兵衛さんに近いが、・・・
まあ、伊兵衛 (直之) さんとほぼ同年代に活躍した同僚の彫師であろうか?

では、伊兵衛直之さんのオリジナルの獏鼻と思われるものといえば、
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尊光寺 (藤井寺) 天保十二年 1841年

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大念仏寺霊明殿 (大阪市平野区)

   


ここのお寺さんに目を見張る立派な龍がいた。
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西福寺 本堂
左肢が欠けているが、なかなかの出来!

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向拝蟇股の麒麟

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本堂蟇股の麒麟

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同 孔雀

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同 松に鶴 

よく観ると、子鶴が三羽いた!
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同 唐獅子

獏鼻
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手挟の雲
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飛檐垂木の龍頭
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束の彫物
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力神と思いきゃ、衣をまとっているので羅漢さまのよう

本堂建立は明治四十年とあり、彫物師不明??

超豪華な彫刻額
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山門
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近年の建立

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獅子鼻が上下二段になっているが、金網でよく見えない。

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太鼓楼 (彫刻はなし)












東大寺と言えば、
徳兵衛さん(相野徳兵衛直信)がよく知られているが、
東大寺に小松源蔵さんがいた。

東大寺(大仏殿)から少し離れるところ、
石段を登りつめると、東大寺塔頭知足院本堂がある。
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この段階で、蟇股の彫刻を観るやいなや
私の胸が躍った!

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蟇股に彫られていた龍は、まさしく源蔵さんに違いない!
こんなところに源蔵さんがいたとは・・・!
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木鼻の彫といえば・・・、
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なぜ、こうなるのかわからない?!
・・・なんでそうなるの?・・・
このように蟇股と木鼻が、異なる彫になることは他に何件かあるが、
どいう理由があるのだろうか?

本堂再建は、文久三年(1863年)とある。
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最近、発見した源蔵さんと比較すれば、
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松寶寺 交野  嘉永五年(1852年)

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湊浦 伊方町 明治初年?

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東大寺塔頭 知足院 本堂
(本尊 地蔵菩薩立像で有名)

おまけ
東大寺塔頭 中性院の鬼瓦
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中性院の土塀
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途中、こういう張り紙(プレート)があった!
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水路を見れば、何匹かのサワガニさんがいた。
大切にしましょう!


一年中コスモスの花を咲かしている般若寺さん
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本堂 寛文七年(1667年)上棟

本堂にいた唐獅子
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鎌倉期創建の楼門
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お隣にある植村牧場さん!
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これは何かと言えば、大きな牛さん(ホルシュタイン)のベンチ

ここのお寺さんには・・・・・、
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光蓮寺鐘楼

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おっと、これは明治後期の小松さんのよう?

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蟇股の彫物は、ちょいささいな龍の彫物。

こちらは本堂の龍と
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象鼻
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ご住職の好意により本堂内を見学
内陣には彩色彫刻が・・・、
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天女
数年前、K組の天井修復のさい、
厨子裏より寛政六年(1794年)の墨書き発見された。
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二十四考の欄間

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二十四考の虎
 
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山門の唐獅子

こちらのお寺さんは、門前から撮影
現地では、何が彫られているのか不明 (見えない)。
画像処理をし拡大すれば、
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龍の蟇股が現われました。 (浄福寺)

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五劫院の蟇股 (木鼻の彫刻はなし)

次回、予告
「東大寺にいた小松源蔵さん!」



槙尾山施福寺の本堂

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本堂向拝に巨大なる龍!
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これは私の観た中で10指に入る超出来栄えの‘龍’。

この龍、随分まえに写真にて伺ったことがあるが、
このときは、「彫又」さんだと確信していた・・・が、
何のその、「彫又」のイメージが全くなく、どの彫物師が推測できない?!
こまった、こまった?
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本堂 獏鼻

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牡丹の手挟

浪花の彫物師に違いないが、
弘化二年(1845年)の山火事により本堂を焼失し、その後
安政年間に再建されたそうな。

彫物は、ここだけではない、
西側向拝にも彫物が…、
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象鼻

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蟇股の巨大な‘虎’
明らかに本堂正面の彫物と彫師が異なる。
この虎の裏面には、
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お猿さんが巻物を広げている。
何やら、銘のようなものが・・・、
ちよっとこの角度では読みづらいが、
「寄付・・・・」の文字が読める。
恐らく寄進した人の名前であろうか?

まだまだ本堂内にも、とてつもない龍がいた。
本堂内では撮影禁止なので、失礼ながら外側からシャッターを、
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龍頭?

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鬼、あまのじゃく?

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:慶應元年の絵馬

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彫工 竹蔵 (西川竹蔵?)

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本堂鬼瓦

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明治43年の鋳造灯籠の馬

本堂裏にいたネコ!
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なかなか綺麗なネコで顔写真入りのペンダントをしていた。

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参道口近くの巨大な滝 (満願滝)

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参道口のおみやげ屋さん
手前の道をみれば、いかに急勾配かとわかる。

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満願寺の龍

おまけ
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泉井上神社の文化五年の狛犬 (1808年)

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泉井上神社社務所の大きな鳳凰
(彫物はこれのみ)













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