彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2016年09月

寺社彫刻でもっとも多く彫られている霊獣は、‘’である。
大概の龍は、狩野探幽の水墨画などから模倣されたものか、
何故かグニャグニャとした印象を受ける。
イメージ 1
日光東照宮

イメージ 2
陽明門

おおかたの龍の彫物は、この容姿になるが、
かっての浪花彫物師の龍は、
シンプルでシャープ、おまけにハンサムさを備えている。
長く伸びる口ひげも銅線を使用し、かっこいい。
特に八代目源助は、龍の彫物を得意としていた。
イメージ 3
蒲生聖賢

ここで、八代目源助の龍の傾きを合わせて見てみると、
イメージ 4
茨田大宮

イメージ 5
北條中ノ町

イメージ 6
経寺

イメージ 7
古町

イメージ 8
雁屋

イメージ 9
                                       奄美                   (T氏提供)
こう並べてみると、ずいぶん眼の入れ方で印象が変わるものである。
明治15年以降から、弟子(九代目源助)による仕上げなど、見られるものの
やはり、これらの龍は八代目の本質といっても過言ではないと思われる。




小松源助2016 といっても新しい情報などないが、
何といっても、八代目源助の獅噛は、きらりっと光っている。
イメージ 1
奄美

ほぼ同じスタイルの獅噛
イメージ 2
上中
細部の細かな彫は異なるものの、同一の彫師が彫らないと
彫物から伝わってくる形相(イメージ)が、こう一致することはまずない。

例えば、川原啓秀師の獅噛は、三枚ともほぼ同一に仕上げている。
かっての浪花の彫物師、相野、服部、彫清なども寄せ集めでない限り、ほぼそろえている。
たが、
小松源蔵・福太郎の時代は、三枚ともスタイルはバラバラ。
大屋根後ろの獅噛は目立たないせいか、彫は薄く、また
小屋根後ろの獅噛は、正面のものよりもやや横長になる傾向がある。
八代目源助の獅噛も正面と後面の形相を変化させている。
これは、小松一門全盛期の特質なのか!!

つづく・・・、


中川一門は、ほぼ社寺彫刻に仕え、それらしき彫物がお寺にも見られる。
イメージ 5
圓照寺

イメージ 1
浄念寺 寛政二年

イメージ 2
信行寺

そして銘のある彫物がここにあった
イメージ 3
子安阿弥陀寺

イメージ 4
「弘化二年作之 ○○師 中川嘉兵衛 保義」?

イメージ 6

イメージ 7

もっも参照となる彫物は、応其寺の欄間のみだが、こいうのもある。
イメージ 8
これ如何に!!



彫物師 中川一門との出会いは、今から二十数年前、
日もとっくに暮れたころ、この彫物から始まった。
イメージ 6

イメージ 1
「中川佐助尉」とは、・・・・?

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5
有間神社 寛政八年 (1796年)

つづいて出会ったのは、
イメージ 7
この寺、応其寺の山門

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

イメージ 11

イメージ 12

これらの彫物(唐獅子群)を見れば、相野藤七の構図によく似ている。
相野藤七は、中川一門で修行をしたのかは定かではないが、
何らかの関係があったのでは?とも考えてみたくなる。
ただこの山門には、中川とは別格の彫師が担当したと思われる彫物が付いている。

それにしても中川の彫は、だんじりでは見られていない。
河内長野の研究家T氏によれぱ、
「中川は、だんじり類を彫っていない」という。

つづく・・・、


大東市立歴史民俗資料館にて、
“祭りの音 祭りの声”が開催されました。
イメージ 1

今回は、大東市各地区のだんじり曳行時の
掛け声や地車囃子の譜面を紹介しています。

イメージ 2

イメージ 3

そして、
旧御領だんじりの実物大のパネル!!
イメージ 4
大きすぎて展示室内に入りきれなく、カットされています。

実物大の土呂幕
イメージ 5

さて、今回の目玉展示と言えば、
旧御領地車の三枚板と隅障子の彫物展示。
イメージ 6


イメージ 7

イメージ 8



イメージ 9



イメージ 10

イメージ 12

おまけ
イメージ 11
              





昨年紹介した西光寺さんの彫物師が判明した。
それは、
名古屋(尾張)の彫物師 初代志村流張。
初代流張、志村桑次郎師は、明治25年生まれ。
彫常二代目に師事し、大正期に長野善光寺仁王門の再建に加わった。
イメージ 1
西光寺 阿倍野
この凄い強烈な、一度見れば忘れない獏鼻、
しかも、いやみのない彫。
この獏鼻は昭和10年再建の西光寺本堂にあった。
惜しくも阿倍野区再開発のため、本堂や境内は解体された。
イメージ 2
西光寺山門  ~西光寺HPより
イメージ 3
西光寺撞楼  ~西光寺HPより

長野善光寺仁王門は、大正七年(1917年)の再建
イメージ 4
この仁王門の木鼻彫刻は流張作か?

イメージ 5
釈迦堂

イメージ 6
大勧進

イメージ 7

おまけ
35台のだんじりが終結!
イメージ 8


服部一門の中で、ひときわ優れた彫物師がいる。
それは、服部清七満朝である。
「服部」一門や、この満朝についても詳しい資料文献などいっさい残されていない。
しいて残されているのは、商人買物独案内 (文政三年刊)のみである。
そこで、法輪寺の彫物が満朝ということなので、その特徴から満朝の彫を探ってみる。

まずは、龍から
イメージ 1
法輪寺 文化四年 1807年

イメージ 2
信證寺 文化六年 1809年 大和高田

イメージ 4
極楽寺 文化九年~文政五年 河内長野

だんじりの彫物についても、それらしきものがある
イメージ 3
蔀屋 ?年

イメージ 5
郡津 ?年

獏鼻について見れば、
イメージ 6
法輪寺

イメージ 7
信證寺

イメージ 8
春日神社 尼崎

イメージ 9
法安寺 文政期 寝屋川

イメージ 10
正立寺   寝屋川

イメージ 11
西願寺 寛政九年(1797年) 枚方

イメージ 12
阿弥陀寺  橿原

なお、今回の探索にあたって、
木鼻は、ほぼ獏鼻、
正面蟇股の彫物は、龍かもしくは、刳型のみで、
法安寺では、惜しくも龍頭が欠損していた。
作成年代は、文化期から文政・天保期と考えられる。
今後の発見に期待したい!


本日、大東市に新しいだんじりが披露されました。
イメージ 1
西諸福

イメージ 2


イメージ 3

イメージ 4


大野
イメージ 5

イメージ 6

ここは伏見にある御香宮神社
正面南側にある巨大なる門
イメージ 1

イメージ 2
神社関係の山門というよりも、城郭にふさわしい大門。
そもそも伏見城下にあった大手門の遺構である。
彫物は正面軒下いある蟇股4ヶのみ。 

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6
二十四考の物語であるが、蟇股のサイズがやや大きめ。
徳川時代、慶長~寛永年間のものと比べれば、そのダイナミックさがうかがえる。
秀吉時代、寶厳寺や豊国神社の遺構、大徳寺唐門などの彫刻と同様、数少ない部類である。

大手門をくぐると、
御香宮神社境内に桃山天満宮がある。
イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9


桃山天満宮を過ぎると、御香宮神社の拝殿が見える。
イメージ 10

数年前、修復が行われ、
絢爛豪華の美しさに甦った。
(寛永二年 1625年創建)
イメージ 11

イメージ 12

イメージ 13

イメージ 14
琴高仙人

正面中央大束に龍が彩色されている。
イメージ 15

つづく・・・、

↑このページのトップヘ