彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2017年10月

こちらは、威勢よく担ぎ揚げられている太鼓台。
彫物類は施されていないが、屋根は入母屋式。
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横棒が短いため、左右のバランスをとるのが難しい様子。
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こちらは軒唐破風と入母屋式の大和型
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欄間の彫は、あっさりとした奈良彫と思われるが、
獅子鼻はごく丁寧に彫られている。
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屋根の先端には普通、唐獅子を乗っけているが、
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ここでは、珍しい‘猩々’さん。
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こちらは、まだ組み立て途中のふとん太鼓。
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出来上がれば、こんなカラフルな五色のふとんとなる。
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こちらは、子供会用のだんじり。
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彫物はついていないが、ちょっとした大工さんが造ったもの?

こちらは一見だんじり風!
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しかし、横から見れば、
何と
四方四面唐破風の太鼓台
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雨が降りしきる中、祭りの準備も大変だ!
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昨年は、御幣でお顔が見えなかったが、
今度は良く見えた。
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獅噛も獅子鼻も見たことのないような彫!

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高欄には富士の巻狩り?、縁葛には波に千鳥が彫られている。

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泥幕は波に兎

車板には本格的な彫物が・・・、
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全体的に細かく彫られている。
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素戔嗚尊の大蛇退治や
加藤清正の虎退治など。
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察するに懸魚の彫から‘彫又’さんだと判る。
ほぼ明治後半の作か?
それにしても、このお猿さんはとても可愛い!
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こちらも雨が降って大変!
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四方四面の唐破風
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獅噛を見ればわかる‘彫清’さんだ。
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こちらでは、レインコートを着用
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これでは撮影ができない!

こちらの西岡又兵衛は、江戸末期まで活躍したと思われる。
何しろ、彫物数が少ないので明確なことが言えませんが?
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今から28年くらい前、地車彫物研究家W氏に、この写真を見せたところ、
「これは西岡又兵が凛々しく彫ったものだ!」と言った。
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そのころ私自身、西岡又兵衛の彫がどのようなものであるか
無知であるためすんなり聞き入れていた。
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これらの彫物は、一昨年解体された地車の泥幕部である。
高欄部の上に三枚板と隅障子にも武者が彫られているが、
泥幕部と彫師が異なることが判る。
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三枚板部

W氏が参考とした、どの彫物を観てそう言ったのかはわからないが、
ほぼ最近それが見えてきた。

イメージとして、奈良にある現役の住吉大佐の地車、
この彫物にやや相当する。
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この現役の地車には、多くの西岡又兵衛の作が見られる。
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西岡又兵衛といっても小松源助と同様に、何人名のっていたかはわからないが、
この又兵衛は、ほぼ江戸末期から明治初期に相当する。
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もう一つ、解体された地車の花台に西岡又兵衛の銘が刻まれている。
当初、又兵衛の作はこの花台のみと思われていた。
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この唐獅子と同等の彫が、奈良に存在する。
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奈良の神社に奉納されている、もと三枚板の彫物が衝立化したもの

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解体された奈良の地車(住吉型)

また、一昨年解体された花戸口の唐獅子も
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又兵衛の彫(ちょい彫)である。

W氏が言った凛々しい表情が、彫の素描写として入っていたのであろう。


ここにあるのは、三色のふとん太鼓。
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ふとんの上に杉の葉を載せるのは、昔からの風習だろうか?
それにしても、かなり古そうな太鼓台である。
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雲板には龍が彫られていたと思うが、すべて欠損し
獅子鼻がかなり渋い彫!
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縁葛には水鳥が彫られている
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こちらは、未だ組み立て中のふとん太鼓、
彫物類は、いっさいついていない。
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こちらは五段のふとん太鼓
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明治39年製の小松によるもの
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明治39年ともなれば、源助さんも見当たらないが、
白綱で隠れている気になる龍、
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どこやらで、この肢爪は観たことがあるぞ?!

こちらは三色のふとん太鼓
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欄間の彫刻は小松さんのようだが、獅子鼻が異なる。
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龍の彫を観れば、彫清さん!
ほぼ、江戸末期と明治の境目の作だろう。
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下部にまかれた虎の刺繍幕も素晴らしい。
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高欄には十二支が彫られている、
このお猿さんも何かしら味わいがある。
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こちらはちよっと大き目の三段のふとん太鼓
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高欄には十二支が彫られ、なかなかのもの。
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こちらも江戸末期の作と思えるが、彫師の特定ができない、トホホ。


ここの太鼓台の屋根は少々変わっている

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正面から見れば、唐破風、
側面から見れば、
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軒唐破風、
はたしてその実態は…
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このような形です。

彫物類は、素人彫りといようか奈良彫のよう。
でも本体は宮大工が行わなければ、決してこのような形にはならない。

宮入りの神事はきちっと行われている。
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こちらは一枚屋根の唐破風の太鼓台
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鬼板は獅噛でなくて、獅子一匹。
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高欄には、唐獅子
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なかなか味わいよく、丁寧に彫られている。
年代は不明だが、江戸末期から明治初期といったところですか?

先日、新調のように見違えった姿にて還ってきた岡山地車。
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一部の彫物を除いて、新たに彫物は新調された。
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以前の彫物は、後車板、木鼻と力神、花台、枡合の麒麟と唐獅子、柄振板、
縁葛の兎のみ。
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泥幕部や泥台に新たに彫物が施された。
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今から25年前に、‘相野喜兵衛’の銘のある地車があると聞き、
早速観に行った。
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東今里神路

この獅噛の裏面に、
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「〇野喜兵ヱ永次」とある。
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当時、精巧に彫られた獅噛以外は、別の彫師と考えていた。

喜兵衛の銘は、
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あびこ観音の山門や

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高野山返照光院の欄間にも見られるが、
統一した彫物が見られないので、比較検討ができなかった。
だが、
今年、大修理されたここの地車に‘喜兵ヱ’の銘が発見されたようである。
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まず、龍を比較すると、
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        (東今里神路)
ほぼよく似ている、
小浜の旧泥台と比較しても、
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(小浜 旧泥台)
龍の鼻筋や牙の出方が一致する。

さて、懸魚についても
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         (東今里神路)
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彫物の構図など一致しているところが多くある。

唐獅子ついて見れば、
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(東今里神路)

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柄振板の獅子や獅噛もよく似ている。この獅噛、
鶴見区にある某地車にも似ている。
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懸魚の鷲も構図は異なるが、顔つきは一致している。
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龍の牙も二本備え!
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これらの彫が相野喜兵衛だとすると、
かっての相野系彫のイメージと違い、まったく異なる印象を受けた。
明治30年代に入ると、小松でもそうだけれど
今まで一門でつちかわれてきた彫の伝統というものが、失われている感がする。

また、驚いたことに、
この武者、なんとなく美濃村さんにも似ているぞ。
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鶴見の某地車もそうだけれど、辻田や彫又・小松系の彫も見られることより
異なる系列の彫師何人かが、かかわっている可能性も考えられる。

ところで、この泥幕後面に彫られた龍、
この龍は、喜兵衛さんの彫ではない。
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みたところ、もともと車板の場所にあったようだが、
申し分なく、大東市の某地車の龍と一致している。
お判りかなぁ!
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(大東市の某地車の車板  画像左右反転)





北河内最大級の地車がここにある。
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中野本町地車

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今年新調されたお守り
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見事な提灯差し
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新調のように見えるが、明治期のもの。

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間口の幅が、128.5cm (車板の幅)。
ちなみに、清滝(124cm)、雁屋(114cm)、北條中ノ町(127.5cm
他に、北條東ノ町、北條北ノ町、北條辻ノ町、氷野も大きい。

正面獅噛までの高さは、交通標識板が接触することにより、
20cm寸法を縮められた。 それでも高さは、5m 9cmもある。
屋根の正面幅は、3m13cm、まさに巨大!

現在、最大級の地車は、北條中ノ町地車
高さは、平成12年の大修理により、12cmアップして、5m35cm

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北條中ノ町地車

北河内地車の形の美しさは、地車の高さと間口の幅の比率で表されると考えられる。
この比率(4.2)が大きいと、背高ノッポのスリムな形となり、
小さいと、背丈短い重量感の形となる。



今回、新たに追加された彫物がこの泥幕!
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正面と後面、側面にすべて麒麟が彫られている。
尾のたなびきは、少し迫力に欠けるが
近年の麒麟としては、凄まじい形相をしている。(good!)
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残念ながら、サイドの麒麟は台棒で隠れていて拝むことができない。
(讃良型の台棒の取付け)

新たに新調された、極彩色の源平合戦の飾幕。
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後面車板
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正面車板
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‘龍虎’の図柄は、旧タイプの地車、交野型の地車に多く見られる。

さて、車板や枡合の彫は、同年代の彫とするが、
三枚板のみ、他の彫よりも刻みが鋭く、しかも木色が他の部分と異なる。
木取りの関係と言ってしまえばそれまでだが、
もとは、小屋根側も幕式のだんじりで、
何年も経たないうちに三枚板へ改造されたと思うふしがある。
もちろん、同じ相野系の彫師によるものと思われる。

文献によると、新田村に『神祭地車例為取替之事』(文政七年 1824)が残されている。 
東と西の宮入の順番とか並び、引出しなどの取り決めが書かれている。
この時より、地車があったことは確かだが、
彫物にガラス眼が使われていなく、銅板の眼球、龍虎の彫物、木鼻の種類、
小屋根枡合に‘獏’が彫られていることにより、文政期頃の彫物ではなかろうか?
そして天保期に三枚板を追加したと、私は考えたい。

役員さんの記念撮影
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お披露目曳行
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新田西地車の彫物には、他に類を見ない彫刻が多く施されている。
この彫物もそのひとつである。
脇障子には、‘唐桃に猿’が彫られていて、
高欄から小屋根まで伸びる大型の両面立体彫刻である。
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正面から向って右のものには、もともと計三匹のお猿が彫られていた。
私が知る27年前には、もう一匹のお猿がいなかったが、
その証拠にお猿の手首のみが残っていた。(矢印)
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修復には、お猿さんが復元されなく、木枝化された。

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(彫物内にひもを通しては、いけませんょ!)

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修復前の高欄には、‘二十四考’と波頭が彫られていたが、
損傷が激しく、全面新調された。
修復後も同じく二十四考と説話ものが彫られ、
前作に劣らず、精巧に施された。
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この彫なら、まったく違和感がなく、お見事!

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続いて、もう一か所といようか、六面新調された彫物がある。

つづく・・・、


昨年、大修理に出された新田西地車が、ものの見事に新調の輝きにて還ってきました。

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最近の‘荒い’の技術は、非常に進化を遂げている。
ふた昔の荒いでは、なんとまあ、汚いツートンカラーのような出来具合だったのが、
ここまで来たのか?!
(骨董好きの私にとっては、年期の入った黒光りがいいのだが)

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花台の龍の彫も欠損が多かったが、
見事に双龍が戦うかの如く修復されている。

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拝懸魚の控鶴仙人の頭も交換。
ちょっと、武将風だが?

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珍しい‘犀’の木鼻
欠落した肢を復元

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この鶴の三枚板の松の上に子鶴がいたとは、今まで気が付かなかった。
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ちょっと待った!、三枚板の左右が入れ替わっている?
大工さんが間違えるわけでもないし、
もとの位置のホゾに戻ったのかなぁ?

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屋根下の垂木は、金具がはめられる予定であったが、
あまりにも派手な輝きとなることで、
上段は巴紋入りの金具彫,下段は獅子頭となった。
非常に細かい細工で、よく見ないと見落とします。

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垂木の獅子頭と同様に、獅子鼻と獏鼻が神管(お守り)の受け台に施されています。

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つづく・・・、


本日、10月1日から12月3日まで、大東市立歴史民俗資料館にて
『TATSUMAーくらしとまつり』の中で、平成27年に解体された
龍間(経寺)のだんじりの展示が始まりました。

いきさつのビデオスライドから
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長持に入れてあった古文書の紹介
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龍間(経寺)のだんじりの飾幕
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鳳凰
鳳凰というよりも孔雀に近い?が、
デザインとその技巧は、お見事な刺繍と言える!

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牡丹に唐獅子 (京都高島屋 明治36年製)

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枡合の唐獅子

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車板の龍

今回見つかった小松源助の墨書き
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『大工職 北條村 木村喜八
彫物師 大阪本町四丁目 小松源助
          倅 小松延治郎 』

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高欄の彫物
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なお、写真撮影は可能となっています。


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