彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2018年12月

ここに‘九代目小松刀’と刻まれた超豪華彫刻の山門がある。
善行寺山門は台風の被害を受け、この時は修復中であった。
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正面に彫られた巨大な龍
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何と、爪が五本もある。
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後面に彫られた巨大な親子虎
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欄間の牡丹
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「大阪市本町四 九代目小松 刀」
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どうも九代目の彫には、まゆつばものが多いと思われる。
この銘刻みを見れば、どうも素人ポイ感じがしてならない。

牡丹の欄間はさておき、
龍の彫はあまりにも、ぐにゃぐにゃとし、
虎の彫も迫力に欠け、笹の葉や滝の流れが単調すぎる。

だが獅子鼻を観ると、
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弓場の獅子鼻や木津の二丁目のふとん太鼓のものに
似るところがある。

この獏鼻は、十代目松雲のものとは異なる。
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側面にも様々な彫刻がしてあり、
未だかって私はこのクラスのものを見たことがない。
(日光東照宮陽明門を除き)
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中でも、この霊亀の彫は秀逸である。
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この門内の亀の彫物と比べて見ればよくわかる。
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立体的に彫られた鶴や
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ただ後面の虎の顔は、やはり芹生谷の虎に似るところがある
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もう一つ、秀逸な彫がこの門扉の欄間
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この唐獅子には、かなり手が込まれている。
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上の唐獅子とは若干、手の入れ方が異なる。
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おっと、これはどこかの鳳凰の首が間違って付けられている。
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要するに、九代目が担当して彫っていたが、
途中で亡くなり、後の彫師が仕上げるなり、また新しく彫るなどして
銘を刻んだと思われる。
だから銘に、‘九代目小松源助’と書かれていないのは、
こういうことなのだろうか?



天理市福住インター北から25号線を北へ150メートル行ったところに
珍しい自然石の笠を乗せた石仏がある。
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大きさは、高さ160センチメートルほどで阿弥陀さんが彫られている。
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もともと、左側の小川の傍にあったものが、移動されている。
そのころ足元の蓮座まで埋まっていたようで、
くっきりと蓮の線彫りが窺えるが、お顔の方は、風化が激しい。
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‘尻冷やしさん’とも呼ばれていて、鎌倉後期の応長元年(1311)の
年号があるがよく見えない。1イメージ 5




粉河寺の奥にある十禅律院、
紀州徳川藩主ゆかりの寺でもあり、築地門、本堂、庫裏や庭園など
県指定の文化財となっている。
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築地門

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本堂

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司馬温公の甕割り

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以上の彫物は、少しばかり相野さんとは言い難いが、
本堂入口左右にある唐獅子の欄間、
最初、中川と思っていたがこれはまさに藤七彫に見える。
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日照と風雨によりだいぶ朽ちているが、
藤七系の彫師に違いないと思われる。
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左側のもう一枚は、残念ながら入口の扉が置かれていたので
拝むことができなかった。
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玄関
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この獅子鼻は相野さんであろう。



泥掛地蔵尊は各地に多くあるが、
ここは天理市福住町別所にある双石仏。
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左 地蔵菩薩 右 阿弥陀如来
地蔵さんと阿弥陀さんを彫った双石仏で、笠石を載せている。

室町前期のもので、慌ただしい風化が見られなく、
顔立ちもよく見える。
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泥掛地蔵とは、病気などで治してもらいたい箇所に泥を塗って祈願し、
治癒すればその所の泥を掃除してお礼参りすることからこう呼ばれる。
また安産祈願の地蔵さんでもある。
場所は、福住町北方のヤマトカントリークラブへの分かれ道にある。
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桜井市橋本の泥掛地蔵

京都北区船岡山に不動磨崖仏があるという。
現在は船岡山公園となっており、遊歩道に2,3の石仏が祀られているが、
目的の磨崖仏が見つからない。
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毎日、犬の散歩をしているようなおじさんや
公園で落ち葉を掃除しているおばさん、たぶん地元地区の人と
思うが、場所を訪ねてみたがそのようなところは知らないという。

さんざん探したあげく、ようやく船岡山西側の麓の歩道沿いにあった。
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岩場が多くあり、石仏も多く集められている。
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かては不動尊として幟も立てられ祀られていたようだが、
そのような気配がなく、もうお参りする人も無いのであろう。
そばにお稲荷さんも祀られている。
目的の磨崖仏は、左方の岩面にあった。
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岩面中央に、坐像の仏さんが描かれている。
どうやに不動さんではなく、阿弥陀さんのようである。
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室町以前に作られたものと云われている。


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五智山蓮華寺


西国第三番札所粉河寺

境内入口にある朱塗りの大きな楼門、大門には神獣彫刻はなされていないが、
本堂手前の中門には施されていた。
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中門 (天保三年 1832)
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相向きの獏鼻
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獅子鼻

西国三十三ヶ所で最大級の本堂
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礼堂と正堂を組み合された非常に複雑な建築様式である。
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(享保五年 1720)
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鳳凰

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牛に乗った上人?

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獅子鼻
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獏鼻

向拝柱の獅子の金具
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よく似た話で石清水八幡では、猿の眼に杭が打たれている彫物がある。

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京都三条河原町で
ひょいと上を見上げれば、
巨大な獅噛が・・・
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京都にこのようなものがあったとは、
山車、鉾、だんじり・・・、それとも・・・
実は、
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ラーメン屋さんの看板であった、トホホ・・・。

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おわり

もう紅葉は終わりかと思っていたが、まだまだ
わずかながら残っていた。
〔浄住寺〕
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〔地蔵院〕
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〔松尾大社〕 (まつのおたいしゃ)
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早々と来年の絵馬

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嵐山にお猿さんがいるところ

〔渡月橋〕
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戸無瀬の滝

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〔千光寺〕
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千光寺からの眺め
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比叡山

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トロッコ列車

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彫物師 服部一門
清七や満朝など何人いたのかも判らなく、
ただ彫物(写真)を並べて見比べるのみ。
ただこの両面に彫られた唐獅子群は極上!
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寺社彫刻も多く残している
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だんじりに彫られたこの唐獅子も服部のアレンジ!
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獅噛も多様なデザイン
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こんなのもある
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服部おきまりの力神
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この彫は素晴らしいと思う


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おまけ
最近観た服部風?
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ここ東大阪市石切に線彫の磨崖仏がある。
近鉄大阪線石切駅の南側の高架を潜って坂道を
上がるとお堂が見えてくる。
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表側、西側は四光地蔵と呼ばれ
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阿弥陀さんの線彫りの像が祀られている。
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見るからにそんなに古くはないもののようだ。
そして裏へ廻れば、
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地蔵菩薩像とその左右に十王が線彫りされている。
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何度か、なぞって削り修復したような感じがする。
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十王と地蔵菩薩の三尊は珍しい石仏で、その昔、弘法大師が一瞬にて
爪で描いたという伝説が残されている。
また、ここの通りは‘厨子越’と呼ばれ、かって生駒の宝山寺へ行く
重要な道であったが、今はすたれている。

この通りを下り、近鉄の高架を潜ったら千手寺がある。
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ここに‘弁塚古墳’と呼ばれる横穴式古墳の石室がある。
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仔細は不明で、この辺りの豪族の墓だろうか?
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船岡山公園


謎の多い小松福太郎、

八代目源助を指導したのか、よく似たところがあるが

やはり福太郎は違う。
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福太郎初期の彫
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福太郎後期の彫
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この力神も福太郎か?
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福太郎中期の作には、かなり細かい彫も行っていたようだ。
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小松福太郎、極上の彫がここにある。
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八代目源助では、このような彫には遭遇しない。


ここは和歌山市から東にある西国三十三所第三番札所の
粉河寺
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ここの本坊山門に相野さんがいた
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彫物は獅子鼻と象鼻のみ
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何やら千手堂にも・・・、
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うむ、こちらは中川さんのようかも!

通りすがりの手水舎の獅子鼻から・・・
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‘わえも写してら・・・’と一瞬聞こえた?!

和歌山駅から粉河駅に走っている電車
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柳生へ抜ける奈良市春日山、滝坂街道には多くの石仏がある。
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寝仏

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左中央上 夕日観音、右中央下 三体地蔵

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夕日観音

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三体地蔵
なお夕日観音の右側に‘五尺地蔵’があるが、見落とした。
ここから街道の奥へ進むと、
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朝日観音がある。
しばらく行くと分岐点にある、
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ときの剣豪、荒木又衛門が柳生街道へ抜ける際に試し切りをしたと
云われる首切り地蔵がある。(そんなバカな!)

さらに東のほうへ行くと、地獄谷の聖人窟の線彫磨崖仏がある。
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西日が強いので撮影失敗

ただ、聖人窟の入り口において巨木が倒れ、道が崩落しているが、
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左側のところから上れる。
あと、峠の茶の先にある‘芳山の石仏’など
ガイドブックに紹介されているが、
新池上手の磨崖仏については何も書かれていない。

新池上手の磨崖仏は、分岐点の首切地蔵から北へ
60メートル行ったところに北東へ折れる峠の茶へ行く道、石畳の道がある。
ここから100メートルほど上がったところに南へ上がる小道がある。
つまり、東から西方向に見ると、
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このところである。
この左側の南へ上がる小道を行けばすぐ下りになり、
この磨崖仏が見える。
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このとき前方の枯れ木が道をふさいでいた。

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大きさは、1メートルほど、
よく見れば地蔵さんではなく、阿弥陀さんである。
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光背を舟型に彫沈め、くっきりと仏さんを浮かび上がらせている。
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まさに人知れずの場所にある磨崖仏であった。

和歌山市の海近くにあるお寺は、
火災により焼失が多く、本堂も鉄筋化している。
ここ光泉寺には、ちよっと古い彫物がついていた。
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彫師不明だが、これは松雲さんではない。
松雲さんは圓光寺の本堂にいた。
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圓光寺本堂

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まさに小松十代目美濃村松雲の彫だが、
裏面を見ても刻銘がない。
なぜ銘がないのかと疑問であったが、銘のないものも他にもある。
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善根寺春日神社

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大和郡山 浄光寺



この時期、もう紅葉も終盤というよりもほぼ終了まじか。
〔船岡山公園〕
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〔般舟院の石仏〕
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〔千本釈迦堂〕
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内助の功で大工の夫を助け、自殺したおかめさんの像

〔北野天満宮梅園の裏〕
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〔大魔神あらわる!〕
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嵐電 帷子ノ辻駅南側のスーパーに大魔神が・・・。
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‘ワンバンバンバーンー’のテーマが常に耳に残っていて、
伊福部昭氏の映画音楽の功績は非常に大きい。
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映画館でリアルタイムにて観た人は、もう還暦前後のひと。
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〔車折神社〕
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〔曇華院〕
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〔鹿王院〕
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ここのもみじの発色は、まさに真っ赤。
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〔妙春寺〕
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〔寶巌院〕
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もみじの絨毯
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〔牧童の石像〕
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私の好きな十牛図の‘騎牛帰家’の題材
なお大阪天満宮蛭子門に相野によるこの木彫があります。

〔渡月橋から〕
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