彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2020年10月

桃香野から月瀬に向かう途中にある滝
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龍王の滝
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役行者が修行したとか、落差10mの滝
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名張川
名張川を渡り長引にある掘出地蔵
a_0117掘出地蔵
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このそばにあった地蔵さんのような・・・
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ガサガサと草むらで音がしたので、
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何とヤマカガシ?!
ここから東へ200mほど行ったところ、右手の奥に進むと、
a_0127モロ木地蔵
モロの地蔵さんがある。
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モロとは、ネズの木のこと。
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さらに東へ行き、寺脇バス停のある手前、
a_0144寺脇
右手の二本の木の間辺りを下っていき、丘を登った途中にも
磨崖仏があるが、登り道が崩落しており、時間の都合で今回はパス。
さらに石打の方へ行き、石打八幡神社の手前100mあたりの
北西の農道を150mくらい進むと、畑のなかに
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地蔵磨崖仏がある。
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以前は、周りが田んぼのようなところだったが、
参道脇に花が植えられ、花道になっている。
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四体地蔵
石打八幡神社秋祭り
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秋祭りと言ってもだんじりや太鼓台のようなものはなく、
最近復活した‘太鼓踊り’、でも今年は中止かなぁ?
神社横にある阿弥陀寺の石仏
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日待講板碑 (寛永五年)左
奈良県で一番古く、全国でも4番目に古いそうである。
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無縁塚にある地蔵さん
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神社境内にある能舞台
茅と木竹で作られた伝統的な工法
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三重県に近い月ヶ瀬、といってもここは奈良市の管轄。
ここ桃香野にも千体磨崖仏がある。
桃香野口のバス停で下車
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ここから集落のほうへ進むと、
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重要文化財の菊家(きくや)家住宅がある。
江戸中期頃の建築
ここからすぐ下ったところに、
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小さな墓地の奥に磨崖仏がある。
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正面のは手を合掌された地蔵さん。
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その横に地蔵さんの双仏。
東へ100mほど下ると、
a_0017千体磨崖仏
千体磨崖仏がある。

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すぐ後ろが崖なので全体像が撮りにくい。
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道路拡張のため、無残にも割られている。
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地蔵さんばかりでなく、中央には来迎印の阿弥陀さん、
おっとそのひとつ右にも・・・。
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ここを下りて行けば善法寺がある。
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蟇股の龍と象鼻
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十三重の塔
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延元元年(1336)
後醍醐天皇が坂本へ移ったとき
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四方仏が施されている
この下の無縁仏塚にも
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三体ずつの六地蔵さんや興味深い石仏が多くある。
ここで目についたものは、
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千体仏の割取られた部分?
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ここを降りきるとお不動さんが祀られている。
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このお不動さんは最近のもの。
月ヶ瀬には、もうひとつ多尊磨崖仏がある。
場所は、嵩口から丘の上に上がらなければならないので
今回はパスした。
a_0106嵩口
嵩口からの上がり口

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龍王の滝


邑地から最終のバスに乗り込み、阪原北出で下車。
ここに非常に美しい磨崖仏がある。
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阪原北出のバス停
ここから西へ降りていき橋を越えた川向こう岸にそれはある。
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阪原北出の阿弥陀磨崖仏
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ずいぶん深く彫沈め、肉彫りを施した力作の阿弥陀さん。
風化が少ないためお顔がはっきりしていて非常に美しい。
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ここから先ほどのバス停へ戻り南下すれば、
見事な風景が訪れる。
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こんもりとした一本木の下に、、
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地蔵磨崖仏
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だいぶ風化しているが、
昨年来たときにあった獣除け電気柵が撤去され、
風流な景観が戻ってきた。

ここから、さらに南へ下り阪原中村にこんもりした森がある。
この東側に多尊磨崖仏がある。
昨年、草が刈られてその前まで行けたが、
日当たりが良いこの場所、あっという間に草だらけ。
a_0230阪原中村 (2)
磨崖仏の姿も草木の間から、、
この前に撮ったものがこれである。
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阪原中村の多尊磨崖仏

さらに大柳生まで行くと、
JA農協前に元亀の地蔵さんがいる。
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元亀二年(1571)
さて、この大柳生の地にもうひとつの磨崖仏がある。
個人宅の庭なので常時見られないが、何とか見せてもらった。
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地蔵さんのように見えるが、錫杖は持っていなく
頭部上に段差が見られることから阿弥陀さんである。
その下辺にも
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地蔵さんの石仏が転がっている。
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大柳生口の最終バスに乗り、この地を後にした。


丹生の千体磨崖仏から北へ進み、西方の丘の上にも磨崖仏があるが、
今回は時間の都合でパス、東方に進んで布目川を渡れば水越神社がある。
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水越神社
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布目川(中央 布目ダム)
次の摩崖仏はこの道を進み、南北に延びる道路に出る。
そこから南へ100mほど行ったところ、
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電柱no.ダム24 ヌノメ25の右側から入る。
この電柱、樹木に隠れているので見落とさないように!
この場所は、石仏(磨崖仏)の研究愛好家の‘大心’さんに教えていただいた所。
侵入口がわからないと絶対たどり着けない場所である。
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この中央を進み、10mほど行ったところの左側(北)にコンクリートブロックの
階段が見えるが現在、落ち葉や杉葉で隠れている。ここを上がり、
階段を折り返したところで、今度はブロックが土砂に埋まっていて
滑りやすいので注意する。
階段を上がれば尾根のようなところにでる。
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ここを左よりに進んでいくと、
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大きな岩に出る。さらに進むと、
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前方に磨崖仏がある。
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右に弘法大師の石仏(近年のもの)、
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左に燈籠がある。
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中央には、顔相がはっきりしている地蔵さん、
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その左右に
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蓮を活けた花瓶が線刻されている。
この描法は数点しかない。
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磨崖仏手前の岩にも、六字名号が彫られている。
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この場を去るとき、前方下で何かが横切って行った。
その昔、家の近所で見たシマヘビやアオダイショウの類のヘビではなく、
あの模様は‘マムシ’である。
この後、再びマムシに出会うことになる。

北へ進むと、
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道路沿いに小さな墓地がある。
そこにこの磨崖仏がある。
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幸田の磨崖仏
この摩崖仏の布目川対岸(西側)にも
a_0152幸田地蔵磨崖仏
a_0152幸田地蔵磨崖仏 (2)
地蔵磨崖仏がある。
さらに北へ行き、旧道の上出バス停近くに
a_0159上出バス停
これは何なのかわからない。
東立寺の無縁塚にあった三体地蔵
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ここから北へ行くと、
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道端に多尊磨崖仏がある。
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こちらのは風化が激しい。
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再び橋を渡り、山沿いに‘天狗岩’という岩がある。
これは天狗岩ではなく、もっと上がったところにあるらしい。
a_0186天狗岩の手前
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邑地バス停から少し北へ行ったところの下出墓地に磨崖仏がある。
その途中で、
a_0191マムシ
再びマムシに出会った。
下出墓地の摩崖仏は墓地の片隅に彫られている。
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阿弥陀さんを中央にして六地蔵に囲まれている。
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片辺には線刻の五輪塔、地蔵さんが施されている。


今回は下水間から大柳生へ抜けるコース。
下水間はどこ?と尋ねられたら奈良市内、
大柳生も奈良市内、奈良市内の領域もだいぶ広くなった。
下水間の小高い丘に地蔵さんがある。
a_0001下水間峠
その屋根の覆いのあるところには、
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私の好きな如意輪観音さん。
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お顔が剥がれている。(文化二年)
下水間から北へ1.6kmほど行ったところで大保に入る。
ここの茶畑の片隅に磨崖仏がある。

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この木の間に岩が見える。
横から見れば、この急斜面!
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茶畑に沿って覗いてみると、
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何と、寝地蔵さん!
この地蔵さんの両端にも地蔵さんが彫られている。
実は、これより上のほうに据え置かれていたものが転げ落ちて
このような状態となったものである。
大保から丹生に抜けると
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富士浅間社の供養碑がある。
この前にある丹生神社、
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丹生神社
この鳥居の前方に生き物がいた。
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大きなヤギさん!
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‘柳生丹生’のバス停(スクールバス)横の石垣上に
如意輪観音さんが祀られている。
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石像は近年のもので、何と呼ばれているのか、謂れは不明。
丹生のはずれまで行き、北の邑地へ行く途中に
今回のメインの摩崖仏がある。
a_0039丹生千体地蔵
小さな川を渡り奥へ進むと
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大きな岩にたくさんの地蔵さんが彫られている。
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丹生の千体地蔵磨崖仏
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奥に進むと、
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さらに二つの大岩にも
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計四つの岩に地蔵磨崖仏が彫られている。
これほど多くの地蔵尊が彫られ、4基も集まっているのも非常に珍しい。



奈良県御所市といっても非常に広く、
今回は、ほんの北西部にあたる地域で七年ぶりの訪問となる。
この地に鎌倉期以降のの石仏が多くある。
猿目橋から少し下ると石仏が並べてある。
a_0001 猿目橋
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笠石仏や双体仏、涎掛けで地蔵さんか阿弥陀さんかは不明。
ここからもう少し下っていくと、道端に・・・
a_0007 櫛羅六地蔵 (2)
大きな岩が、
そこには‘六地蔵’が施されている。
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櫛羅の六地蔵磨崖仏
紀年は不明だが、鎌倉中後期のものだろう。
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〔九品寺〕
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ここのお寺さんには多くの石仏がある。
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三体阿弥陀仏?
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四方仏
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阿弥陀三尊石仏
何といっても本堂裏山の‘千体仏’
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私の好きな‘如意輪観音’さん
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延享二年(1745)
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道端にいた‘ヤマカガシ(毒ヘビ)’の子ども?
a_0106 ヤマカガシ (2)
ぐったりしていたので、車と接触したのかなぁ?
生きているみたいで、杉枝ですくい、そっと草むらに移動させた。
長さ30cm弱の大きさ!
〔浄泉寺〕
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多田公民館そばには、自然石に彫られた珍しい四方仏がある。
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a_0176 (2)
正面が地蔵菩薩、
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他三面が如来坐像で、風化が激しく特定できない。
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この左隣にある大日如来。
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多田から少し西へ行くと、
勝福寺の寺墓地がある。
a_0190 勝福寺笠塔婆
この笠塔婆には、四方仏が刻まれている。
a_0195 (2) 文永七 1270
紀年が「文永七年」(1270)とある。
a_0197 (2)
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久々に『藤七彫』に出会うことができた。
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とある神社の「舞殿」と云われる能舞台
ここ、鉄格子に囲まれた中にあったものは、
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おっと、これは「相野」さん!
両端には、
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d_0221 (3)
うむ、この獅子鼻は浪花の彫師ではない彫。
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龍の彫は、相野藤七と見てもよいだろう。
左端に宝珠を掴み、三本爪を波上にかざす下絵は、
大阪天満宮の拝殿や東灘区の空地車の龍に見られる。
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相野藤七ならではの立体感、
小松源助のそれとはまた異なった構築である。
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ただ龍の角の取付けが不整合で、180度軸回転させ寝かさなければならない。
拝殿や本殿にも彫物がされていなく、前舎の能舞台にこれらの彫物が
施されていたと考えられるが、なぜ相野系と異なる木鼻になったのか
謎が深まるばかりである。




近鉄室生大野口駅を潜り、南側に少し行くと辺りの風景が一変する。
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宇陀川が蛇行する岸辺に大野寺があり、その対岸に、、
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c_0243 (2)a
高さ14mの弥勒菩薩の大磨崖仏がある。
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この磨崖仏は、京都相楽郡笠置寺にある磨崖仏を模して
承元三年(1209)に宋人の名石工、伊行末とその一門により
製作されたと言われている。
また像の左下に磨崖尊勝曼荼羅が彫られ、それぞれの仏さんが種字にて
直径2.2mの円相に納められている。
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さらにこの蛇行した向こう岸の岩肌に
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大黒さんが彫られている。但しこれは近年に作られたもの。
大野寺墓地に並べてある石仏。
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よく見れば、ガーネシアとか日本のものでない。
墓地の奥へ行けば、
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地蔵磨崖仏があった。
もうひとつ、閼伽井と呼ばれる井戸があるという。
もう辺りは薄暗いのではっきりと見えないが、
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たぶんここであろうと、地面はだいぶぬかるんでいる。
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祭壇の奥まったところに
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お不動さんの線刻の石仏が、、といっても現地では薄暗いので何も見えなく、
このあたりだろうとシャツターをきった写真。

最寄りの駅についたころにはとっくに日は暮れていた。
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向淵にある安楽寺
c_0176 大垣内安楽寺 
蟇股には‘牡丹に唐獅子’
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a_0179 (2)
獏鼻
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向拝には‘雲に応龍’
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そして屋根の梁と虹梁の間には、
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c_0183 (2)
‘力神’が・、左手にひょうたんを持っている?
向淵から南下すれば、ようやく大野へ到着。
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名阪特急新車両の‘ひのとり’
c_0193 (2) 名阪特急ひのとり
近鉄室生口大野駅のホーム北側にある愛宕大権現、
その前に名もなきお堂がある。
c_0194 室生大野 愛宕大権現
お堂の内には石仏が、
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この石仏、‘青面金剛’という。
民間信仰のひとつ、庚申講の本尊で帝釈天の使者の金剛童子であり、
身体は青色で憤怒の顔をしている。
興味深いことに左手に何かをつかんでいる。
c_0196 青面金剛
c_0199 (2)ショケラ
よく見えないが、髪を持ち上げられ、合掌しこちらに振り返っている。
これは‘ショケラ’と呼ばれ、半裸の女人だそうで、
足元にも着物を着た女人に見えるが、こちらは童子だそうだ。
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その下には左右に二体ずつの夜叉(鬼)、中央のはちよっとわからない。
庚申には必ずお猿さんが付きものだが、この台座の下にでも
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彫られているのだろう。
この庚申堂から東へ降りて、山のほうへ上がって行くと
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北向地蔵がある。
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北を向いているのでこう呼ばれているのか、
詳しい案内板もなく日中薄暗いところに佇んでおられる。





小原の滝から西方へ行くと、小原の集落に入る。
そこから北へ少し上がったところに‘つちんど’と呼ばれる墓地がある。
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この墓地内に個別に彫られた阿弥陀三尊と南無阿弥陀仏の笠塔婆がある。
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中央の阿弥陀如来、右手の親指と人差指を付ける来迎印が見える。
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聖観音菩薩(右)
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合掌されている勢至菩薩(左) 永仁六年(1298)
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永仁七年五月(1299)
ここから西へ500mほど行くと極楽寺がある。
このお寺の前には、美しい花を咲かす枝垂れ桜がある。
b_0110 小原極楽桜
b_0114 (2)
極楽桜
小原から染田に入ると、春日神社境内に
b_0121 春日神社 染田天神
染田天神があり、その隣に十輪院がある。
この十輪院の前には貴重な石仏が多く並べてあるが風化が激しい。
b_0124 十輪院石仏
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ここから南へ300mほど行くと県道の道端に‘穴薬師算’と呼ばれる
b_0130 穴薬師
石仏群がある。近年に整列に並べられたので風流がなくなってしまった。
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肉厚の地蔵さんや
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十王像が後に並べられている。

多田の集落に入るところに九頭神社がある。
b_0155 多田九頭神社
この神社の狛犬が滑稽な姿をしている。
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年代はわからないが、珍しい狛犬である。
無山を抜けて東の方へ行くと向淵へ入る。
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b_0161 室生向淵
(向淵スズラン郡方面)
スズラン方面はパスし、三体地蔵のある‘穴薬師’へ向かう。
県道から少し南へ降りたところに穴薬師の石仏がある。
b_0163 向淵穴薬師
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石柱で回りを囲み石室のようにして守られている。
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彫が深く肉彫りの三体の地蔵さんは風化が少なく、
お顔立ちが立派である。建長六年作(1254)
また、ここから県道を隔て、北側の山すそに‘飯降薬師’と呼ばれる摩崖仏がある。
火事によって風化が激しく現在、見ることができない?とのことでパスした。


3月初旬から地蔵さん巡りを休止していましたが、
ようやく左膝の痛みが取れ出したので、復活しました。
足慣らしのつもりで計画したのが、毛原から室生大野のルート。
路線バスも廃止され、まったくこの間は徒歩ルート、
相当な距離となってしまいました。
まずは山添村毛原から、
1月に見落とした長久寺にある二十五菩薩石仏。
なんとこの石仏、ここの奥にあったのです。
a_0001 毛原長久寺二十五菩薩 (2)
毛原にはこの手の多尊仏石仏が2基あり、もう一つがこれです。
a_0002 正保三年(1646)
a_0003 (2)
a_0006 (2)
二十五菩薩と書いてありますが、地蔵菩薩が全部で二十四尊、
あと一つはと言えば、真ん中上に阿弥陀さんの種字が、
これで二十五尊となりますね。
記年が左下にあるのですが、読めません。
正保三年(1646)
a_0013 (2)
錫杖を持つ地蔵さん、お顔がちょっとずつ違いますね。
毛原から南へ行くこと、1kmちょっと
a_0018 下笠間永仁阿弥陀 (2)
笠間川の橋を渡れば、
a_0021 (2)
下笠間の永仁阿弥陀摩崖仏(永仁二年 1294)がある。
a_0023 (2)
光背をくぼめ、頭背から放射状に延びる後光を線彫りを施している。
a_0030 (2)

下笠間の集落に入ると、小高い所に春覺寺がある。
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春覺寺
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本堂の木鼻
可愛らしい象鼻です。
蟇股には・・・?
現地では何かわからなかったのですが、
a_0039
画像を拡大すれば「牡丹に唐獅子」でした。
境内には、首切り?地蔵や
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肉彫りの地蔵さんがあります。
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本堂には木彫の地蔵菩薩があるのですが、こちらは見られません。

春覺寺から南西に450mほど行ったところに『美仏桜』がある。
細道が込み合っているのでたいへん分かりづらいが
中央の大木の裏にあり、この下の細道を上がっていく。

a_0048 美仏桜 (2)
上がりきったところに墓地がある。
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「美仏桜」は無縁仏に囲まれていて、春のお彼岸の日には花に包まれることでしょう。
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墓地にあった二列の六地蔵さん。
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a_0055 (2)

ここから2kmほど南へ行くと上笠間に入る。
a_0065 (2) 笠間川
笠間川
上笠間の集落から外れた西ほう(小原より)に
上笠間の阿弥陀三尊の摩崖仏がある。
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この階段を下りて行くこと約10m、
途中、土の中にスズメバチの巣があり、ブンブンとび回っているでたいへん危険。
a_0072 (2)
中央に阿弥陀如来、左右に勢至菩薩と観世音菩薩・・・、
肉彫りに彫る手間を省いたのか、種字にて刻まれている。
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a_0076
巣の横を通るので長湯は無用、早々にこの場を離れた。

小原に入る手前に見事な滝がある。
「小原の滝」
a_0079 小原の瀧 (2)
a_0084 (2)
仔細は不明


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