彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2021年05月

西音寺から南へ、椿井の町に入りJR奈良線の高架を通り抜けると
南山椿井墓地がある。
a_0171南山墓地 (2)
入口にある六地蔵
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一体のみメーカーが異なる?
無縁仏
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ここから奥に上がったところに東平尾墓地にあったような
双体石龕仏がある。
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何故か、墓石の代わりに双体仏が祀られている。
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さて、南の西垣内に入るとここに小さな合掌の石仏がある。
ここを上がって行き、JRの上を通る。
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この細道を少し行ったところに
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二体の石仏が置かれている。
a_0185西垣内 (2)
一体の大きなものは、上部が欠損している座像で
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小さい方は、合掌している座像である。
この細道は松尾神社への参道でもある。
西垣内から南にある松尾崎にも、JRの踏切を上がった上の分かれ道に
a_0190松尾崎 (2)
草と植木に埋まった地蔵さんがある。
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城ノ内には道標と兼ねた地蔵さんがある。
a_0192城ノ内
町の中から探すとややこしいところにあるが、
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山城中学校横の道路からすぐに見える。
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山城中学校にある椿井大塚山古墳石室の天井石
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城ノ内から東の山手に行くと、
a_0196上狛新四国八十八ヶ所霊場
「上狛新四国八十八ヶ所霊場」??
天竺堂にある一号古墳石室跡
a_0201天竺堂一号古墳石室
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このあと、‘足洗池の三体地蔵’を探している間に日が暮れてしまった。
今日は蟹満寺墓地から始まり、国見観音、光明寺跡、谷山不動尊と各石仏を巡り、
口勝山あたりでタイムアップ、この続きは次回へ・・・。
上狛墓地の六地蔵
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前回の墓の谷より戻り、
不動川南岸に沿うひとつ南側の道、町のほうへの道を行くと平尾横手に
a_0116平尾横手 (2)
地蔵さんが並べて祀られている。
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ご丁寧に小さな石龕仏にも毛糸の帽子が被せています。
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来た道を戻り、もう一つ南側の道を行くと
a_0139十輪寺 (2)
十輪寺がある。この裏にも石仏が並んでいる。
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境内にある十三重石塔と
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地蔵さん。
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県道70号に出ると赤い幟旗が、
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神童子(神童子口から北へ1km辺り)にもメガソーラーの計画が?!
なお山添村の片平地区にもメガソーラーの計画がある!!
鳴子川を渡り、椿井のほうへ
内畑にある西音寺
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境内にある十一面観音菩薩
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川沿いにある墓地、無縁塚の片隅に
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珍しい阿弥陀三尊の石仏がある。
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嘉永六年の紀年が右側にあるが見えなく、風化が激しい。
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この石仏で思い出したのが、
山科区四ノ宮の四宮大明神にある阿弥陀三尊石仏。
a_0275 四宮大明神
a_0278 四宮大明神
西音寺のものは、石龕の左右の縁を切り取ったような形状だが
ここのは、本来の舟形状石仏である。



前回の光明山寺跡から南へ、
不動川沿いの谷山不動尊へ(追補版で紹介)、
不動川を渡って池を周り込んだ奥に‘墓の谷’と呼ばれるところがある。
墓の谷と呼ばれるからには、もちろん墓地があるわけだが、
ここに素晴らしい双体石龕仏がある。
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右側の土手に墓の谷池がある
墓地入口の六地蔵(最近のもの)
a_0120墓ノ谷 東平尾墓地 (2)
東平尾・西音寺墓地
ここを上がって行くと右手にお迎え地蔵さんがある。
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だいぶ風化しています。
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双体仏は、この地蔵さんと対面方向を上がり右奥にある。
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笠石の擬宝珠はなくなっているが、なかなか立派な仏さん。(室町期)
残念ながら数か所に渡り亀裂が走っているが、
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仏さんの顔立ちがよく風化も少ない。
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東平尾墓地と隣り合わせにある西音寺墓地の
a_0132西音寺墓地 (2)
六地蔵+1体
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東平尾墓地の無縁仏
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童女の地蔵さん
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寛政十二年(1800)

蟹満寺墓地の一つ南の筋へ、国見観音への旧道がある?
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かん高い声で鳴く‘ケリ’
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天神川に沿う北側の道、ここを
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左に折れ、少し行くと竹林に入る。
a_0045国見観音
国見観音への案内板や石碑も灯籠も何もない。
なかなか歩きやすい道と思いきゃ!!
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上の道路まで2、300mところで倒竹地獄に遭遇?!
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通れないことはないが、光明山寺跡から後戻りするつもりで下山、
農家の人に尋ねてみれば、上の新道(農免道路)ができてから
国見観音へ上がるこの道はもう通られていなく、途中で通過できないとのこと。
そちらの方へ農作業に行くところなので、軽四輪に便乗させてもらった!(ラッキー‼)
国見観音上り口のところで下車、先ほどの倒竹を通り抜ければ
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たぶんこの道へ出てくる。
新道を挟んでの上がり口 
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ここの左沿いを上がって行くと、
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お堂が見える。
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お堂に観音さんの石仏があるとのこと、失礼して覗いてみた。
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内部は厳重な二重構造となっており、仏さんが見えない。
拡大すると、
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ハープ状の蓮の茎がほのかに見えた!
将来、じっくりと見てみたい石仏でもある。
お堂の隣にある子安地蔵
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こちらも涎掛けが、ぐるぐると巻き付けられよく見えない。

お堂の北側は見晴らしがよく、遠くに京都タワーが見えるそうであるが、
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雑木でまったく見えなかった。
さて、新道を東の方へ行くと
a_0062光明寺跡 (2)
光明山寺跡(光明仙)へ到着。
a_0064光明仙 (2)
この辺りに、広大な寺院と多く塔頭が江戸末期まであったという。
蟹満寺の本尊、釈迦如来坐像(平安期鋳銅)はここから移されたと云われている。
かって本尊の台座は加工されていないことから、
本尊は動かされていないと言われてきたが、
数年前の本堂改築の際、台座石組下の地層が江戸期のものと判定された。
ということは・・・。

ところで、この辺りにあった石仏(野仏)が集められているという。
そこは石橋を渡り東に行くとダムがあり、その近くにあるという。
まず天神川の光明仙橋を渡り(平ヶ谷の方向)、天神川沿いにしばらく行くと
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石橋(コンクリート橋)がある。
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この橋を渡り、右に進むと砂防ダムが見えたが、
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ここから先に入れない?!
獣柵が張り巡らされているし、またこの雑草ではまったく見えない。
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残念ながらまたの機会にしたい。

天神川から南へ(神童子方向)折れると傍らに地蔵さん?があった。
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よく見ると、阿弥陀さんであった。
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山ツツジ?
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やすらぎ砂防公園にも草が茂ってきた。
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今日は、ココからスタート!
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まずは、JR玉水駅から阿弥陀寺へ
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このお寺に阿弥陀如来の石仏2体が祀られている。
a_0003阿弥陀寺
鎌倉期のもので風化が激しく、表情が読めないが肉厚もあり
堂々とした風格がある。
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本堂に彫られた獅子鼻
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さて、蟹満寺墓地は蟹満寺から離れており、天神川を北に越えた山裾にある。
参道にて迎える地蔵さん。
a_0018蟹満寺墓地
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お顔が窪んでいてお猿さんのよう!
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墓地の入口にある、六地蔵+1体
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祭壇の六地蔵
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その隣に無縁塚がある。
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じっくり見ると味わいのある石仏が
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後ろの方にも隠れているようである。
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前回、撮り残した石仏を転載。
a_0077谷山不動
再び、谷山不動尊
ひと月前より新緑が深くなりました。
谷山地蔵尊へは、石段の途中で右方へ
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地蔵尊石垣に童子?の彫物
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大きな石に地蔵さんと
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童子が彫られている。
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子安地蔵さんでしょうか?

謎の石仏?
弁天さん?
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この石仏の二段ほど上に彫られている石仏
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東南アジア系の仏さん?造りかけでしょうか?


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もうひとつの不動さんは、この裏に
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もとは、滝口の傍に置かれていたと思われます。

前回の稲荷社の折れ道から左に上がって行くと
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覆堂の奥に
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不動磨崖仏が彫られている。
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右手に宝剣を持ち、左手に羂索、
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背面に火焔らしきものは、ちょっと見えないが舟形に沈められている。
覆堂の左には、石燈籠と磨崖仏がある。
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一見、地蔵さんのように見えるが、
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耳がやや大きい十一面観音である。
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その左隣の石に何か書かれている。
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a谷山不動尊a
寛政九年(1797)
この上には、
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‘陰石’!
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この右隣に
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地蔵さんが彫られている。
この地蔵さん、顔筋がはっきりしている。
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またこれより上がった所、滝行跡に不動明王の石仏が置かれている。
次回の探索にしたい。
石段上がり口東奥にある地蔵さん。
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なお、この上の方にも谷山地蔵尊があり、次回の探索にしたい。
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アジサイのような花?
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ツグミさん
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今日、4月18日は蟹満寺の蟹法要の縁日だが、
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昨年に引き続き、イベントが中止され、身内のみの法要で終わってしまった。
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石龕仏の地蔵さん
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無縁塚の地蔵さん
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綺原神社
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神社の北隣にある大日堂
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天神川
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本日はココまで。

新型コロナウイルスがはびこる昨今、
ワクチン接種も何時になるかもわからない状況下で、
より感染力の強い新たな変種株が蔓延し、
現ワクチンでは効力も疑わしいと不安を募る日々の暮らし。
オリンピックどころか、今年の秋祭りも危ういと感じるようになり、
まだ見ぬ大和型太鼓台の探索も昨年から滞っている中、新たな浪花彫物も全くなし!

ふと、数年前の画像を見ていたら相野さんとわかる獅噛!!
ひとつは、
伊兵衛a
相野伊兵衛直之と判るもの。
もうひとつは、
56000a
相野さんと判るのだが、彫師はわからない?!




前回の神童子墓地から北へ1.8kmほど行くと不動川がある。
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ここにある‘やすらぎ砂防公園’では、

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ディ・キャンプを行っていた。
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新緑とメジロさん 
さて、ここから川に沿って西へ下ると、
a_0132谷山不動尊
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谷山不動尊(谷山宝山寺)がある。
参道前でお迎えする力神さん(天邪鬼?)
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石段を上がって行くこと数分、
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途中で右に折れると・・・、
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切り出した岩に磨崖仏が彫られている。
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その横には未完成といようか、彫が仕上げられていない。
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釈迦如来でしょうか?
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ここを上がって行くと、上に見上げた岩肌にも
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磨崖仏があるが、草木で隠れて見えない。
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さらに道筋にいくと、石垣に埋め込まれたように
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蛇?観音さんでしょうか?
それとも白蛇弁天さん?
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a_0142(3)
この奥まったところに、お稲荷さんが祀られているが、
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お世話をされている方がいないのでしょうか?
この大きな軍手のような手?
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案内板は、汚れていて何が書いてあるのか全く不明。
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‘鬼の俎板’のような敷石?、何かが置かれていたのだろうか!
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秩序よく並べられた石?
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仏像の容姿から近世に造られたもので、
またこの場所は、石切り場のようなところに思え、
ここで石工が作業をしていたとも考えられる?
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