彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

2021年09月

狭川両町から南へ、県道184号を須川町へ入る。
戸隠神社を通り過ぎ、
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400mほど行くと、
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たしか、この辺りにあったはず?!、移動されたのか?
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階段を上がって行き、草をかき分けながら進むと、
ありました❕
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地蔵磨崖仏!
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道路側からでは、全く見えません!

この北方のところにある神宮寺さん
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境内にある阿弥陀さん
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境内はきれいに整備されています
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この宝篋印塔には、
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四方仏が刻まれていた。
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もう一基、こちらは鎌倉期のもので奈良市指定の文化財
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お寺さんから北方にあった灯籠
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須川のバス停まで戻って、今日はここ終了。

狭川東町から狭川両町へ、
丘をあがると光明寺がある。
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光明寺
本堂前にある六地蔵?と思いきゃ
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よく見れば地蔵さんと違う!
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馬頭観音
六観音が祀られていた。
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その横にある大きめの地蔵さん!
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境内の無縁仏
塀の端の方にも地蔵さん?
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墓地の端のほうには六地蔵がありました。
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それと種字と仏さんを組み合わせた石仏が。
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阿弥陀さん
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大きめの阿弥陀さんは祭壇用でしょうか?
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a_0142
傍らには、五輪塔や無縁仏が、
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全体的に何故か配置がおかしいと考えられる。
実はこの隣に笠置街道、県道33号が走っているので
おそらくその昔、街道が墓地の際を通っていた。
車両が通行できる拡張のため、もとあった墓地まで削られることになり
このような状態になったと思われる。

墓地から南の両バス停まで行くと、この西へ少し行ったところに
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植木に隠れて、地蔵磨崖仏がある。
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説明板やお供えもないのでどういう謂れの石仏かは不明である。
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a_0151

つづく、

出来上がったプリント基板に各パーツを実装し、はんだ付けを行う。
a IMGP2029
背の低いものから取り付け、半導体やヒートシンク、リレーなどは後で付ける。
b IMGP2033
b IMGP2034
リード線を配線し、まともに動作するか?チェックする!
b IMGP2041
ここで設計変更❕
ラジケータ―は、電流・電圧計として共通して使用しようと思ったが、
1V以下の電圧が読み取り難く、以前購入したLED電圧計モジュールを追加した。
b IMGP2067
LED電圧計モジュール(中国製)280円
b IMGP2068
裏面を見れば、制御駆動用ICが1つ、三端子regが1つ、トランジスタが1つ、
他に抵抗とコンデンサのチップ部品と半固定抵抗が見られる。
表に3桁の7セグメント表示のLED、
これがたったの280円❕

設計時点では、急速充電用として電流値を1Aとしたが、
この電流可変用抵抗にバカでかいホーローのものを使用しないといけない。
電流値を0.5Aに変更し
何か使えそうなものはないかと探してみたら、
この巻線の可変抵抗器が見つかった。
b IMGP2042
この抵抗器は、かってのサンヨー製の2インチ(2号リール)の
オープンリールのテープレコーダーの速度可変に使用されていたもの。
そのテープレコーダーとは、どの様なものかというと、
かっての海外TVドラマの‘スパイ大作戦’で
「・・・このテープは自動的に消滅する・・・」のナレーションのときに映る
テープレコーダーと同じような形である。

マンガニン線を螺旋状に巻いて摺動接点により抵抗値が変わるもので
アスベストの台紙に組み込まれていて、52年前のものとは思えないほど
堅牢な造りである。

次にラジケータ―の目盛りを0.5A用(500mA)に変更し、
レタリングにより付け加えた。
b IMGP2072

前パネルの製作
b IMGP2053
b IMGP2054
いつものように糸鋸で切り抜く
b IMGP2058
側板と底面、後面パネル
b IMGP2070
ペーパーをかけて
b IMGP2061
アイボリーをスプレーする
b IMGP2062
それからレタリングを行う
b IMGP2063
b IMGP2066

つづく、 

ふと目についた、矢標識‼
a_0110上狭川城跡
上狭川城跡とある。
a_0110上狭川城跡 (2)
矢標識があるからには、すぐ近くだろうと思って行ってみた。
a_0111
上がること約7分に分かれ道が?
a_0112
右に‘子安地蔵’
a_0112 (3)
ちよっくら行ってみたが、いくら行っても地蔵さんはない?
下り道にかかり、下山する方向?
地図にて確認したがこのような山道の記載はなく、
だいたいこの辺りから東に降りていくと・・・、
前回の地蔵堂の子安地蔵さんのところにたどり着くことが分かった。

引き返して城跡へ
a_0113
どんどん上がって行くと、
a_0116 (2)
横看板! ここが頂上辺りである。
この奥に行者堂があった。
a_0114行者堂 (2)
城といっても山城で、土塁跡を残すのみ。
a_0115
上狭川城跡の土塁

a_0117 (2)
彼岸花が咲いていた
南西ほうに行くとこの辺りに磨崖仏がある。
a_0118 (2)
雑木に隠れて見えないが、この道の奥へ行くと、
a_0120 (2)
地蔵さんが見える。
a_0123
狭川東町の地蔵磨崖仏である。
a_0121
南の方から北へ眺めたところ
a_0124 (2)
磨崖仏のある所はわかり難く、
a_0124 (3)
この矢印のところにある。

つづく、、

この前に製作した充電電池ケース(未発表)
a IMGP2047
電池はニッケル水素電池(Ni-MH)
a IMGP2046
a IMGP2044
このニッケル水素電池またはニッケルカドミウム電池を充放電できる
専用の充電器を考えてみた。

仕様
電池は1本から4本直列まで充電でき、
一定電圧に上昇したら充電をオフする。

充電電流は任意に設定でき、
電池のメモリー機能をリセットするための放電回路を設ける。

電源は前回製作した12Vスイッチング電源を使用する。

以上の機能を取り入れ、回路を設計すると以下のようになった。
a IMGP2003
暫定回路図
定電流回路にLM317を使用し、OPアンプ(NJM2742D)で充電電圧を比較して
電源をカットオフする。電流可変には、可変抵抗を使用する。
3Pトグルスイッチで充電と放電を切り替える。
(補足 LM317は可変三端子レギュレーターICで最低動作電圧1.2Vから制御できる。
NJM2742Dは単電源動作、3Vから動作し、スルーレートも10V/μSと高い
2回路入りのOPアンプである。)

これらの回路部品を一枚の基板に収め、部品のレイアウトとパターン配線を施した
プリント基板を作成する。
部品の大きさとピッチ、スペースを考え、電気的な順序や
GNDのインピーダンスを考えて裏面から見た配線をパターン図化する。
a IMGP2004 (2)
方眼紙にパターンができたら、その大きさに生基板を切断する。
a IMGP2006
生基板には、ガラスエポキシ片面基板を使用。
a IMGP2010
さてこれからは昔ながらのやり方、
ポンチなどで打たなくて直接、基板に穴を開ける。
パターン図を銅箔面に張り付け、ボール盤の回転数を8000rpm以上にして
a IMGP2014
高速回転にて穴を開ける。
ドリル刃は、超鋼のものを使用する。
a IMGP2031
パーツによって穴あけ径が異なる。
a IMGP2015
穴あけが終わったら、抜けがないかチェックする。
a IMGP2017
a IMGP2016
パターン図紙をきれいに剥がし、銅箔面を脱脂する。
a IMGP2018
脱錆脱脂液(サンハヤト製)
数滴銅箔面に落として、歯ブラシで磨いて水で洗い流す。
これで銅箔面がピカピカになる❕
ふた昔前にはこういう脱脂液が売られていなかった。
それまでは石鹸、中性洗剤で洗うとか、研磨剤で磨くとか今では考えられない指導があった。
洗剤で洗うと、どうしても銅箔面に界面活性剤が残り、後で行うレジストが乗らなくなり、
また研磨剤で磨くと、箔面が傷だらけなり、厚みがたった16μmなので
さらに薄い銅箔が削られることなる。

水洗い後、
水気をキムワイプか洗車用の紙クロスなどの毛ばきの少ない不織布で拭き取る。

a IMGP2019
銅箔面が乾いたら、油性のマジックでパターンをレジストする。
a IMGP2021
a IMGP2022
電流が多く流れるラインは、できるだけパターンを太くする。
またGNDパターンはインピーダンスを下げるため、できるだけ太く広くとる。
a IMGP2023

さてエッチングである。
不要な銅箔面を溶かす。
エッチング液(塩化第二鉄液)は、50℃くらいに湯煎し温めると
銅箔の溶融の効率が上がる。
a IMGP2024
ヒーターは熱帯魚用のもの
a IMGP2025
時たま、容器を紙漉きのように揺さぶり反応を早める。
約10分前後でレジスト以外の部分の銅箔が溶けてなくなると、
すぐに取り出して水洗いをする。

使用済みのエッチング液は、空いた瓶に保存し、次回使用するときに
新しい液を少し継ぎたして使用する。
エッチング液は基板の大きさにもよるが、5枚ぐらいまで使用でき、
液は溶けた銅で徐々に濁ってきて、溶ける反応時間が長くなる。

また廃液とする場合は、下水に流してはいけない❕
エッチング液(サンハヤト製)の説明に従って、附属の粉を混ぜて
処理してください。

a IMGP2026
どうしてもレジストの塗りの薄い部分に、剥げがのこる。
ラッカーシンナーでレジストを除去し、
a IMGP2027
銅箔保護と半田が付きやすくするためにフラックスを塗る。
a IMGP2028
昔ながらのやり方でプリント基板が出来上がった!
相当以前に感光基板を使用して作ったことがあるが手間が増え、めんどくさいことがあり、
同じものを量産しないのでいつもこの方法で行っている。
ただ、スルーホール処理も施していないので、はんだ付けの際に
少々技術が必要である。
a IMGP2029

つづく、

ラジケータ―とは何か?
昭和45年あたりから、ラジオやラジカセ(ラジオカセットテープレコーダ)の
音量レベルや受信レベル、バッテリ残量計の目安として指針表示の
インジケータ―である。
そもそもラジオに使われるためのインジケーターからラジケータ―と呼ばれていた。
構造は可動コイル型の電流計で、LED表示にとって替わるまで
ラジオ機器やステレオ音響機器などに頻繁に使用されていた。
a IMGP1968
a IMGP2001
今回、仕様電流を測定するのは、
a IMGP1969
この等間隔目盛の台湾製ラジケータ―で、サトー電気(川崎市)で販売されている。
数十年前では国産も作られていたが、可動コイルメーターは
もうガラパゴス化で消えつつある。
a ラジケータ―
サトー電気の広告
さて電圧、電流計で使用するためには、
ラジケータ―のコイル電流の測定が必要である。
測定には、定電圧電源と電流計、コイルの電圧を計る電圧計と
適当な電流に可変する可変抵抗器を用いる。
a IMGP2002
まず初めにVUメーターを計測してみた。
メーターの電流が不明な場合、
仮に電流を1mA流すと仮定し、電源電圧をDC5Vとすると
接続する直列抵抗は、オームの法則より5kΩとなる。
余裕を見て30kΩの可変抵抗を直列に接続する。
(可変抵抗の位置は真ん中あたりにしておく)

上図のように接続し、ラジケータ―がフルスケール針示になるように
可変抵抗器(ボリウム)を調節し、ラジケータ―に流れている電流を測定し、
そのときのコイル電圧を測定する。
電圧計には、ミリボルト単位の計れるデジボルか電子電圧計を使用する。
a IMGP1970
左 電子電圧計 中 定電圧電源 右 電流計 いずれも自作品
a IMGP1972
a IMGP1973
フルスケールの表示で、コイル電圧は164mV、電流は190μA
a IMGP1974
a IMGP1975
ほぼ広告内のデーターを満足している。

◎ラジケータ―を電圧計として使用するには、
表示電圧をDC10Vmaxとすると、
10÷190μA= 52.6kΩとなる。
実際に使用するには、直列に47kΩの抵抗と10kΩの半固定抵抗器を直列(シリーズ)接続して、
10Vのときフルスケール表示になるように半固定抵抗器を調整するとよい。

◎電流計として使用するときは、分流器を並列(パラ)に接続する。
1Aの電流計の場合、コイル電圧が0.164Vであるから
0.164÷1=0.164Ωとなる。
最近、1W酸化金属皮膜抵抗の1Ω以下の抵抗値のものが24系列の値で売られている。
0.164Ωより少し大きい値の0.18Ωの抵抗を使用し、その抵抗と並列に
10オームの半固定抵抗を接続し、合成抵抗が0.164Ωになるように調整する。
計算では、半固定抵抗値は、1.9Ωくらいになるが
実際コイルまでの配線の抵抗分もあるので、
1Aの電流を流したとき、フルスケール表示になるように半固定抵抗を調節するとよい。
a IMGP2038
a IMGP2039
1W酸化金属皮膜抵抗 0.18Ωと10Ωの半固定抵抗
奥のものは、メーター保護用のショットキーダイオードBAT43を双方向に接続



前回のところより中墓寺へ戻った!
うむ、たしかこの辺りにも石仏があったのでは・・・?
a_0074 (2)
中墓寺から少し下ったところ・・・、何もない?!
a_0074 (3)
う~ん、どこだろうか?、この辺かなぁ??
あれー、
生え伸びた草をかき分けると、
a_0077 (2)
ありました! 双体仏と他2体?
お供え物らしきものも何もありません。
瓦礫のゴミのようで何となく忍びないです。

南の方へ歩いて振り返ると、稲穂と 茶畑?! 
茶畑ではありません!
a_0080 (2)
a_0080 (3)
ここでもソーラーパネルが❕
2013年のGoogleマップの画像を見ると、
a 0080 ソーラー (2)2013 10 google
このような光景でした。(2013年10月Googleマップより)
どう思われますか?、、

南の方へ行く道の突き当りを左、東方へ進むと
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金剛院墓地の石碑がある。
a_0082 (2)
この右の方へ進めば、一本の木が倒れているがゴルフ場を通って阪原へ行く道。
真っすぐ左奥へ進めば、墓地、
すぐ左の方へ行けば、たぶん前回途中で断念したとこら辺に出てくると思うが、
a_0082(3)
さて、この草ぼうぼうの道でどの辺りに出るのか?

元に戻って墓地方向へ、右方に阿弥陀さんがおられた。
a_0083 (2)
a_0084
奥へ進むと、
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途中、墓地用の水(井戸)があった。
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金剛院墓地
a_0089 (2)
天正八年(1580)
a_0091
a_0093 (2)
帰り道、ひよっこりと目についた真っ赤で極小のキノコ!
a_0095 (2)

墓地の入口から西の方へ進むと、辻の地蔵堂へ出る。
a_0098
何と祀られているのは阿弥陀さんである。
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左下には如意輪観音さん。
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ここをすぐ曲がったところ、路上に栗がたくさん落ちていた。
a_0102
どうみても、1、2時間前に落ちたと思われる栗!
きれいなものを拾って帰った!
a 0102 1937 (2)
昨年、邑地町で拾ったものには虫入りがあったが、
今回、虫入りはなかって甘かった!
手っ取り早く食べるには、包丁のかかとで二か所ほど切り込みを入れる。
プリンカップの空のポリ容器に栗がしたるぐらいの水を入れ、
ラップをかけて電子レンジで、約1分10分チンすると出来上がる❕
やけどしないように、栗皮が冷えて固くならないうちに剥くこと。

話が脇道にそれたが、西の方へ行くと再び地蔵堂がある。
a_0103 (2)
今度は地蔵さんで、子安地蔵と書かれている。
失礼してお堂を覗くと、
a_0104
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この板張りの囲いは、何んだょ!
地蔵堂前の石仏
a_0108
さらに西方へ行くと、目についた
a_0110上狭川城跡
‘上狭川城跡’の矢印標識!
a_0111
何故か、このような標識に弱いこの私、すこし行ってみることにした。

つづく、

Ia MGP1875 (2)
後面パネルから組立て、配線を行う。
a IMGP1976
AC200Vのアウトレットは、あえて3Pタイプのものに変更した。
a IMGP1977
単純な配線だけれども、実際配線すると複雑となる。
a IMGP1987
a IMGP1988
配線が完了すると、配線図と見比べて必ずテスターなどで配線チェックし、
a IMGP1990
a IMGP1996
電圧を投入にて、間違いないかチェックする。
(ノイズフィルターを出力側に付けているのは、雑音の発生する機器を接続するからである)
a IMGP1991
上蓋を付けて完成‼
a IMGP1992
a IMGP1993
a IMGP1994
a IMGP1995

a IMGP1999

白砂川の橋を渡り南の方へ上がって行くと、中墓寺がある。
境内には横一列に石仏が祀られている。
a_0038 (2)
天気が良すぎてハレーションがきつい。
a_0040 (2)
a_0042 (2)
おっと、この仏さんは地蔵さんではないような?!
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この仏さんの左右にも四体彫られている。
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a_0045 (2)
a_0052
中墓寺瑠璃殿?裏にも祀られている。
a_0050
a_0048
a_0051
a_0053

中墓寺の東側の道を南奥へ行くと墓地がある。
参道に並んでいる・・・・、
a_0073 (2)
双体仏を舟型光背にして、3基並べての六地蔵さんであった。
a_0069 (2)
a_0071
a_0068 (2)
奥に行けば、
a_0059
少し大きめの地蔵さんと阿弥陀さんがある。
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a_0062
a_0061 (2)
a_0066 (2)
a_0064 (2)
墓地内にあった無縁仏
a_0056門垣内墓地

さて、墓地の東側の道は金剛院墓地へつながっている道であるが、
a_0055
この草ぼうぼうの道を抜けると道がなくなっていた。
左へ下れる道があり、降りてみると田んぼ跡のようなところに出た。
昨日の雨で水が溜まっていたので行けそうにもなく、諦めて
中墓寺のところまで戻り、西側の道を行くことにした。

つづく、、、


シャーシに穴あけが終わったら、軽くペーパーを掛けて
アイボリーのカラースプレーを噴き塗装する。
a IMGP1938
レタリング文字を入れなくてもわかるので、ヒューズの電流値のみ入れた。
a IMGP1939 (2)
各パーツを組入れる
a IMGP1952
a IMGP1955
a IMGP1953
パイロットランプには青色LEDを使用、
交流AC100Vで使用するには、交流を整流するためシリコンダイオード(200V 1A)と
a IMGP1956
電流制限の抵抗(1/4W 18kΩ カーボン抵抗)をはんだ付けし
熱収縮チューブを被せ絶縁する。
a IMGP1958 (2)
一連のつなぎ配線には、1.2φのスズメッキ線を使う。
裏ブタを取り付け、ゴム足を付ける。
a IMGP1967
a IMGP1966
a IMGP1963
a IMGP1965 (2)
加工前のシャーシはこんなのでした⇩
a IMGP1921



九月に入れば少々涼しくなると思い早速の行動開始!
日陰では涼しいけれど、炎天下ではまだまだ暑く、倒れそうな一日であった。
今日はココからスタート!(通算2度目)
バスの終着地、‘下狭川’のバス停
a_0001 下狭川 (2)
バス停のすぐ東方にある磨崖仏
a_0002 (2)
日中、陽が当たり風化が激しく、だんだんと細部が奪われていく。
a_0008 (2)
その下にある石仏
a_0003 (2)
左上の方にも六地蔵?のような磨崖仏が・・・
a_0007 (3)
さてここから北の方へ行くと、
a_0012
八幡宮を通り越し、
a_0013 (2)
a_0014 (2)
秋コスモス?
農道の突き当りを上がって行くと、
a_0015 (2)
松葉山墓地がある。
その入口に鎮座する
a_0029
一石三地蔵 ×2の六地蔵。
a_0021 (2)
それぞれのお顔に表情があり、単なる同一化した量産性のものとは
比べにならない味わいがある。
a_0017 (2)
シオカラトンボが留まっていた。
その前にある無縁仏群
a_0025 (2)
a_0026
墓地の方にあるお迎え地蔵さん
a_0027 (2)
a_0032
a_0034 (2)
a_0035 (2)
a_0037 (2)
白砂川
川を渡って中墓寺へ・・・・
つづく、

大阪市浪速区日本橋の‘デジット’に安価のACインレットと波動スイッチが売られていた。
a IMGP1935
50ヶで500円のACインレット(ACコンセント)と1ヶ30円の波動(シーソー)スイッチ❕
いづれも、ぱちもんの部品ではなく、サトーパーツ製とパナソニック製の
一流メーカー製でそれぞれ「電取」(電気用品取締法または電気用品安全法)、
UL規格(アメリカの規格)の認証を受けたものである。
a IMGP1934電気用品安全法 取締法
これらを使ってミニのテーブルタップを製作を試みた。
できるだけ小型にし、雷サージのアブソーバーは省くことにする。
ただし、3PのプラグやACアダプターのような容積の大きいものは接続できない。
a IMGP1915
ACコードの許容電流は7アンペアなので、もっぱら5アンペア以下で使用することにした。
a IMGP1916
アルミシャーシもだいぶ高騰した。
学生期の頃には、この手の大きさのもので200円以下だったと思う。

けがきは一度、方眼紙に書き入れてから
a IMGP1917
センタードリルでポイントを付ける。
aIMGP1919
センタードリル
普通は、センターポンチでポンチするが、裏から当て板をしないと
ポンチの衝撃で周囲にくぼみが生じる。
a IMGP1921
ポンチ跡をケガキして、糸鋸の歯が入る穴あけをする。
a IMGP1922
a IMGP1924
a IMGP1926
左のは、コードを固定する樹脂板。
底板も製作する。
a IMGP1927

つづく・・・

先日、奈良大学博物館の拓本展に訪れたとき
ふとある図録に目がいった。
a_0162 (2)
おっ、表紙が龍間のだんじり(経寺地車の車板)ではないか??!
そう、かって大東市立歴史民俗資料館において
龍間のだんじりの彫物展示されていたものである。
一度、大東市から奈良大学へ出張されたことは聞いていたが、
このような図録が発刊されていたことは知らなかった。
以前、歴史民俗資料館で催しをしていた「だんじりの記録」、「だんじりの記憶」では、
彫物師 小松源助についての記載があったが、‘龍間のだんじり’についての
図録は初めてである。
a_0010  平成28年
a_0012 (3)
平成28年度『だんじりを活かした地域共働事業実行委員会報告書Ⅱ』より

図録『よみがえれ!だんじりの龍』を少々ひもとくと、
a_0164 (2)
a_0165 (2)
a_0166 (2)
a_0167 (2)
a_0168 (2)
・・・と非常に詳しくまとめられている。

a_0005 令和元年-12
令和元年12月の彫物展示より

法華堂から北にある知足院へ、
この裏山に十三仏があるという。
今日は北へ行き、東の端から西へ入ってみた!
a_0122
たしかこの辺りだと思うのだが‥、
a_0116
何も発見できなかった?!ここではないのか??
ただ、横たわった地蔵さん一体と五輪塔の墓石の発見のみ。
a_0117
a_0118
この地蔵さん、忘れられたように置かれている。
底部にホゾがあるので基壇があったのだろうか?
a_0119
a_0120
すぐ北側のフェンス向こうには、現僧侶の墓地がある。
a_0121
a_0123
知足院の本堂
a_0125
文久三年(1863)の建替え
a_0127
蟇股の龍は、ご存じ小松源蔵さん!
a_0131
〔よぉ、ひさしぶり〕と言っているよう?!
下り坂の南側にあった地蔵さん
a_0136
a_0134

道路を南へ出たところの地蔵さん
a_0137 (2)
講堂跡?の礎石
a_0138
今日は正倉院が開けられていた。
a_0141 (2)
a_0142 (2)
もちろん、このフェンスのところまで、
a_0143 (2)
その昔、中学校社会の教科書?で初めて見た正倉院。
校倉造りの小さな小屋ぐらいの大きさと思っていたが、
かなりでっかい・・。
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もちろん宝物類は、温湿度管理された鉄筋コンクリートの新しい蔵に収められている。
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さて、正倉院と大仏殿の間の広場に
お目当ての‘モフ子’ちゃんがいるのだが、どこにいるのかわからなかった?
家に帰ってから写真を見てみると、、
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左下に写っていましたが、ちとモフ子ちゃんと違う!?

大仏殿東回廊沿い
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南大門前
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運慶・快慶の金剛力士立像
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帰りがけ、興福寺の方へのっしのっしと歩く鹿さん!
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この前に角を切られた‘ふたちゃん’、別名‘アトラス’かなぁ?
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