彫物名鑑 小松堂

ヤフーのブログから引っ越してきました。 以前のカテゴリーは、そのまま移動されていました。 社寺彫刻、だんじり彫刻や浪花彫物師の彫物および野仏や磨崖仏を紹介します。

カテゴリ: 石仏紀行

龍王山から天理方面に降りる山道は何ヶ所かありますが、
その内、萱生町へ降りつく古道中腹に不動明王石仏が昭和53年に発見されました。
長岳寺や崇神天皇陵への龍王山登山ルートと異なり、険しいところもあります。
おまけに人通りもないせいか道は荒れていて、
倒木や枯木が散乱し目的の石仏に巡り会えなかった人も多かったと思います。
youtube『大心の石仏探索』で紹介されてから非常に行きやすくたいへん
判り易くなりました。大心さんに感謝です。
(https://youtu.be/plVxJRMZN5s?si=gyW4A8E5ulbc2tsY参照)

さて、出発は笠山荒神さんから・・・
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今日は笠山荒神の大祭
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相野徳兵衛 作の龍
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竹林寺からの神輿渡御

笠山荒神から西方へ、龍王山への山道を上がります。
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龍王山へは登らずに一旦、藤井町へ下って龍王山北城跡に向かいます。

a4萱生町
国土地理院の地図
右の〇印が進入口、中央の赤〇印が石仏位置、左◇印が果樹園の出口です
休憩所・駐車場の端の反対面が進入口です。
北城跡の北側の尾根を行くと「堀割」の看板があります。
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30分ほど行ったところでなだらかな林道へ出ます。
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この林道が見えたらもう近くまで来ています。
目的の石仏はここより40mほど行ったところ、
左側(南側)のこんもりしたところにあります。
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龍王山萱生道の不動明王石仏
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果樹園に出てきたところ
下から見上げると
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果樹園の上部も雑草で覆われてきました。

おわり


浄瑠璃寺参道入口(十字路)から東南へ行く道を行くと
‘赤門’と呼ばれていたところに地蔵堂があったとされている。
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少し下ったところに水が湧き出ているところがあり
そこに火災にあって焼けている地蔵さんがある。
a_0080水呑み地蔵a
水呑み地蔵
かって旅の憩いの場であったのであろうかぽっんと
ただひとりの地蔵さんが佇んでいます。

水呑み地蔵さんから少し戻ってさらに東へ進むと
a_0082ひと鍬地蔵a
鍬で書いたような‘ひと鍬地蔵’が左手(北面側)に見えます
地蔵さんが描かれているのは岩肌の一番上です
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ここから道を下って行くと
唐臼の壺に二尊仏があります
a_0084唐臼の壺二尊a
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阿弥陀仏
右側に燈籠の火袋に穴があけてあり、燈明を燈したと思われます。
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地蔵さん
ここより北東への道を行くと ‘わらい仏’へ着きます
その前に首から下の部分が埋もれている地蔵さんがいます
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‘眠り地蔵’
お顔は右側を向いていますが地衣類で侵されています
その横には大岩肌に阿弥陀三尊磨崖仏が彫られています
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a_0090わらい仏
‘わらい仏’ 永仁七年(1299)
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名工 伊末行作
岩船寺の方へ行くと・・・
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途中に下るところがあり、‘一願不動’があります
a_0099一願不動
a_0102a
岩船寺を通り抜け、左に大きく左折する丘の上に
観音寺跡と呼ばれるところがあります
そこに並べられた多数の石龕仏
a_0103観音寺跡a
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観音寺跡
a_0106a
この丘から岩船寺方へ行く旧道を行き、分かれ道を西側に戻ったところに
庚申堂跡があります
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観音寺跡から西側の道路崖下にある民家の庭先に
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座像の阿弥陀磨崖仏がある
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傍まで行かないとよく見えません

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久しぶりに正月早々 当尾に行ってきました
宝珠禅寺の石仏
a_0001a宝珠禅寺
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辻地蔵磨崖仏
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町中から少し離れると
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このような光景に変わります
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新川の石仏群
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千日墓地
a_0019千日墓地
千日墓地には鎌倉~桃山期の石仏がたくさんあります
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十三重石塔(永仁六年 1296)
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十三仏石(永禄三年1560)
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阿弥陀三尊石仏
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いいお顔をしています
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お迎え地蔵
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穴薬師
a_0049穴薬師
薬師如来
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大門の石仏群
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大門仏谷の大磨崖仏
a_0057大門の石仏
座長2.6mの如来座像
(定印部がはっきりしないので仏様を特定できません)
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南大門墓地の南崖側にある三尺地蔵磨崖仏
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a 0060 KIMG1523a

東小墓地の地蔵
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首切り地蔵
a_0062首切り地蔵a
十一面観音菩薩
a_0064十一面観音
藪の中三尊磨崖仏
a_0066藪の中の三尊
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浄瑠璃寺付近にいるネコちゃん
a_0071浄瑠璃寺
浄瑠璃寺
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つづく・・・

京都市山科区の山科地蔵横には四体石仏が安置されている。
徳林院住職のご厚意により拝見しました。
b_0232四ノ宮徳林庵
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中央に阿弥陀さん、左右に勢至さんと観音さんが彫られ、
阿弥陀さんの下に地蔵さん?、計四体彫られ祀られている。
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a0239b
わずかにお顔の表情が伺え、右に何か刻まれているが・・・?
長らく野ざらしにされていたが、近年に屋内に祀られた。
鎌倉期のものと思われ、地蔵さんと阿弥陀三尊と彫られたものは珍しい。

その横には‘飛脚の茶釜’と云われる石造りの釜がある
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文化十年(1813)酉の年号があり、
かって飛脚さんの休み処、茶所となっていたところであった。
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住職さんの話によれば、石仏と茶釜が市の文化財に指定されたそうである。
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山科地蔵堂と茶所

紀寺町の璉珹寺へ
〈 璉珹寺 〉
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a_0001 (2)
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a_0004璉珹寺 (2)
1月1日の御朱印を頂に行ったのですが、
墨の準備がされていなく、かわりに住職よりお下がりを頂きました。
(いつもは、5月の公開です)
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〈 新薬師寺 〉
a_0009新薬師寺 (2)
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十一面観音
その隣にある
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青面金剛

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板戸に描かれた 松 櫻 と舞楽
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芳山の二面石仏に似ている!
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新薬師寺から春日大社へ
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参道を横切って 奈良公園へ

つづく

雲晴寺から南へ、国道2号を越えて西方へ
ここに大きなお寺さん、光明寺がある。

〈 光明寺 〉
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三尊の石仏(嘉永七年 1854 )
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山門
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b_0245 (2) - コピー
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修理要で危険です
〈 観音堂 〉
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〈 本堂 〉
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懸魚と鬼板でしょうか?
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〈 書院 〉
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水溜を支える力神
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文政十一年 (1828)石工 長兵衛作

享保十四年(1729)の梵鐘の獅子のレリーフ
b_0266 (2)享保14 1729 

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墓地入口にある阿弥陀さんと地蔵さん
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このカエルさんは寝カエル
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六地蔵
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〈 正徳寺〉
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〈 圓珠院 〉
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ここにも宮本武蔵作の庭があった!
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明石城郭
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おわり

さて文化博物館の帰り、この周辺の寺院を巡り周った。
〈本松寺〉
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剣豪 宮本武蔵作の庭園があるらしい!
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山門の阿吽の獅子鼻
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本堂には ゾウ鼻がありました。
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武蔵の庭はこちら?!
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おっと、鍵が閉じられていて 拝観は断念!
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奥まったところに石仏はないかと?
これは、何!
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ジャイアント馬場さんのお墓がありました。
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日本のプロレスの創始者である力道山の後を背負ったG馬場さん。
強いのか!弱いのか?わかりませんが、60分フルタイムなどの試合は
かなりの迫力がありました。
リアルタイムで見たあの “鉄の爪” フリッツ・フォン・エリックの試合は
今でも目に残っています。

〈雲晴寺〉
山門に大きな仁王さんがおられます。
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子安地蔵さん
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狸の石像!お寺に縁のあるものでしょうか?
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本堂(平成16年)
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鼻づまり?
ここにも武蔵の庭が?!
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戦時中の大空襲で焼失した庭を復元したそうです
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宮本武蔵の兵法「二天一流」三代目孫弟子の墓
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柴任重矩とその妻 の岩 さん
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山門を支える力神

つづく、

興融寺から圓福寺へ
小高いところへ上がったところ東側に二基の宝篋印塔が並んでいる。
a_0056円福寺 永仁元1293 (2)
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片方(南)には四方仏の石仏が、
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もうひとつには、種字で表されている。永仁元年(1293)
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二基並べられているので非常に美しく見える。
本堂屋根の風変りな鬼瓦!
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暗越奈良街道に入り、西方へ行くと
a_0072 (2)藤尾石仏
レリーフ状の阿弥陀さんがある。
藤尾石仏と言われており、もと置かれていたところから移動されている。
文永七年(1270)
藤尾石仏への分かれ道の手前、
a_0075旧道 (2)
このガード横下へ降りて行くところが、かっての古道と言われている。

東の方へ降りて行くと石仏寺がある。
a_0076石仏寺 (2)
残念ながら、このお寺さんの本尊である阿弥陀如来坐像と立像、地蔵菩薩の石仏は
観られなかったが、伊 行氏作である。
境内にある石仏
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阿弥陀三尊を種字で表した六字名号
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応願寺に行くと永仁二年(1294)の地蔵さんがある。
a_0079応願寺 永仁二(1294) (2)
作製年度からに見て伊 行氏作と上げられるが、
作風から見てそうではないらしい。
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最後に訪れた往生院
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本堂前に五輪塔を彫刻した五輪卒塔婆が建っている
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この宝篋印塔には正元元年(1259)の紀年があり
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県下で最も古いと言われている。
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本堂裏にある
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行基の供養塔

輿山墓地
六地蔵 + 一地蔵
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六字名号
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墓地の奥にある石龕仏
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なお今回、詳しく説明された生駒民俗会長様、担当されたT氏にお礼申し上げます。

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竜田川

おわり

今日はココからスタート!
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と言っても 生駒民俗会例会の『南生駒に伊派の石造遺物を訪ねて』に
参加させていただき、南生駒の鎌倉時代石造物を巡りました。
まずは無量寺から
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無量寺本堂
本堂前にある五輪塔は嘉元二年(1304)、
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石工 伊 行氏の作。
地輪以外は後世のものと言われている。
伊派とは鎌倉期、伊 行末が創始者で伊 行吉、末吉、末行、行氏、行元、
行恒、行長、末次、・・・と約230年に渡った石工集団であった。

ここから木彫・・・本堂の獏鼻
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見る限り、小松源蔵期の作品、
残念ながら蟇股の彫物は無。

扁額の代わりに天女の彫刻
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11月後半、温かいところでアキアカネが日向ぼっこ!
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境内の石仏
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背が高く、竹のようにすらっとした上に花弁が・・・
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参道下の石龕仏
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小瀬の分かれ道にあった地蔵さん
a_0023生駒市小瀬 (2)
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地蔵さん?でしょうか!
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竜田川の鯉
関の辻の地蔵さん
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竹林寺参道脇の阿弥陀さん
a_0032竹林寺 (2)
行基の墓
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墓内にある地蔵さん
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かって境内の外周に据え置かれていた結界石
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阿弥陀さんと双体仏、そして青面金剛石柱
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興融寺の五輪塔 文永十年(1273)
a_0047興融寺 文永十1273 (2)
奈良県下、最古の五輪塔
一石十三仏
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つづく、

今日はココから!
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後から考えてみれば、高の原駅から廻る方がコストが下がったようだ‼
大心さんからの一報で、奈良大学博物館で石仏の拓本展が行われているとのこと、
終了日がこの31日なので、さっそく行ってみた。

神功南口駅で下車すると奈良大学への入口がある。
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奈良大学博物館はゲートから西方へ
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東大寺龍松院 筒井家所蔵のもので計25点(前・後期)の拓本が展示されている。
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なお、拓本展館内は撮影禁止となっている。
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ここで終われば何のことかさっぱりわからない。
そこで、
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無料配布されている図録から石仏に関するところを少々ひもとくと
まず白鳳時代の石位寺の薬師三尊像
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この石仏は、こと細かく細工されており室内に置かれていたため風化がほとんどなく、
非常に美しい石造物である。
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石位寺(桜井市忍阪)

頭塔の石仏(奈良市破石町)
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滝坂街道から少し離れたところにある地獄谷石窟仏(奈良市春日野町)
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他に羽曳野市杜本神社の隼人石、東大寺八角燈籠奏楽天女像、
円成寺大日如来坐像光背などを展示。
なお拓本展については、8月31日(日曜休館)まで開催されています。

ところで、大サプライズ❕
こんな図録もありました。
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この件については次々々回予定❕

さて奈良大学を離れ、近くにある阿弥陀寺に寄って見た。
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墓地前にあった阿弥陀石仏
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小さなわりに肉厚が厚い
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朱雀六丁目バス停から近鉄奈良駅へ、
つづく・・・



前回の庚申堂から少し下ったところに
a_0168額井子安地蔵 (2)
覆屋が見える。
さて、これまでのおさらいをすると
a 榛原山辺三 (2)
(NAVITIMEの地図より宇陀市榛原額井方面)
山辺赤人の墓から下り、青矢印が庚申堂、紫矢印が子安地蔵尊の場所である。
覆屋に向かって下って行くと、
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「両大神宮」と刻まれた灯籠が、草叢から顔を出している。
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『祈願成就 子安地蔵尊』と書かれた覆屋の内部は、
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薄暗く暗闇だったが、じんわりと姿が見えてきた。
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大岩に舟型の光背に沈められた地蔵さんが彫られていた。
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地蔵さんの傍には、石龕仏が祀られ、
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右側にも線刻のものが、
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左側にも何やら刻まれているようにも見える?
a_0178 (2)
上部には水平に切り込まれたホゾがあり、
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笠石が差し込まれていたと思われる。
覆屋は近年のものと思われ、
お顔の風化もあり、野ざらしに祀られていたと考えられる。
子安地蔵尊から下って行くと
a_0185勧請縄 (3)
「勧請縄」が貼られていた。
a_0186 (2)
♂と♀ ?!
a_0187 (2)
通常は道路を横切って(結界)勧請縄が貼られるが、落下時の防止のためか?
a_0187 (3)
このような勧請縄も近年失われつつある風俗風習であり、
後世に引き継がれていくことを願いたい。

勧請縄の傍にあった地蔵さん
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a_0190 (2)
額井公民館前にあった石龕仏
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a_0192額井公民館前 (2)

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篠畑神社から西へ、少し上がったところに山辺赤人の墓がある。
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途中、墓への道しるべがあったが、わかりやすい道路を通った。
宇陀市都市公園(駐車場と広場のみ)の北側を上がって行くと、
a_0136
a_0137 (2)
峠らしきところにそれはあった。
a_0139山辺赤人墓 (2)
a_0140 (2)
a_0141 (2)
万葉集歌碑
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a_0143 (2)
a_0144 (2)
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見る限り古い五輪塔である。
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墓の前に下へ下る道があった、
おそらく途中にあった道しるべのところへ行けるだろう。

後戻りし、途中で見つけた石塔?
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道路端の苔むしたところに、何やら?
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カナヘビと思ったらトカゲさん、日向ぼっこ中であった。
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南の方へ下って行くと、
a_0155 (2)
庚申堂があった。
a_0157額井庚申 (2)
その横にあった何かの石碑。
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堂内を見ると、
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青面金剛が祀られていた。
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左手には、ショケラらしきものが?
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足元には、三猿!
a_0162 (2)
a_0167 (2)
庚申堂から少し下ると、
a_0168額井子安地蔵 (2)
お堂が見えてきた!・・・・


前回の深谷龍鎮渓谷から後戻りし、室生ダムを渡って国道165号へ出る。
南西へ進み、篠畑神社の南の近鉄大阪線の線路に沿った道を行くと、
小さな地蔵祠がある。
a_0106山辺三 (2)
a_0107 (2)
a_0108 (2)
ここから西へ行くと、
a_0093山辺三無縁仏 (2)
ポッンと狭いところに古い石仏が祀られ集められている。
a_0097 (2)
もともとこの地に墓地があったものか、すぐ北方には太陽光パネルが設置してある。
墓地から発電設備地に替えられたものか?
ただ無縁仏のみ取り残されているようである。
この大きめの地蔵さんは、お迎えとして祀られていたものだろうか?
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a_0095 (2)
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天正二年(1574)
奥まったところに阿弥陀さん?がおられました。
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a_0096 (2)
再び国道へ出ると、葛神社がある。
a_0101葛神社 (2)
a_0103 (2)
a_0104 (2)
篠畑神社へ戻り、
a_0105篠畑神社 (2)
a_0110篠畑神社 (2)
a_0111 (2)
境内の摂社
この狛犬、なかなかの貫禄がある。
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ひさびさに出会った神殿の彫刻!
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これと同等の彫が先ほどの葛神社にもある。
神殿と拝殿は、神明造となっている。
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今日は、ココからスタート!
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近鉄 室生口大野駅前
アジサイが咲き誇っていました。
コミバスに乗り、
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意外なところで下車。
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室生ダムへ
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室生ダムを越えて南へ850mほど行くと、
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赤い欄干が見えてくる。
a_0014深谷龍鎮渓谷 (2)
龍鎮橋
この橋を越えて左へ入ると、
a_0014深谷龍鎮渓谷 (4)
ここから深谷龍鎮渓谷
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しばらく行くと鳥居が見えてくる。
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これより先、30mほど通行禁止となっている。
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振返ると龍鎮神社の石鳥居
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右下に滝が見える
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落差は大きくはないが、
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滝壺がエメラルドグリーンで非常に美しい。
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急流すべりが出来そうだが、ここは神聖な聖域である。
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残念ながら、途中に地蔵さんやお不動さんの石仏がなかった。
また清掃が行き届いているのか、はたまた参拝客のマナーがよいのか、
入口から空き缶などのゴミがひとつも落ちていなかった。

石碑から上がって行くところがほぼ参道だが、
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石段の階段がほぼ杉葉が降り積もって隠れているので
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非常に上がりにくくなっている。
国土地理院の地図には、この参道らしき道の記載がない。
a 大内峠a1

道しるべには大内の六地蔵と書かれているが、
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実際は、
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シングルの地蔵さんが一体?!と大きな笠石が乗せられている。
右隣には、
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後世に置かれた弘法大師座像と大正六年の地蔵さん。
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近づいて磨崖仏を見ると、
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地蔵さんの周りに何やら線刻の仏さんが施されている。
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地蔵さんの左隣下の仏さんは、
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お不動さんでしょうか?
その左側には、
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ひときわ大きな阿弥陀さんと左右の脇侍は、勢至菩薩と聖観音菩薩でしょうか?
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さらにその隣には、知剣を持った文殊菩薩?
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何故か、後世において空いたスペースに十三仏を刻まれたような。
その線刻仏が立像の地蔵風なのでわかり難くなっている。
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食パン風顔のニコニコした地蔵さんです。
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灯籠には大正九年
上がって来た道を戻り、国道369号を西へ。
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上内牧に滝谷不動尊?・・・

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