京都 一乗寺門口町にある 史跡 詩仙堂丈山寺
ここに展示されている扇形欄間彫刻
この彫物が かの ‘左甚五郎’ であることが判明した。
詩仙堂に伝わる『詩仙堂誌』の合集目録によれば
この欄間は伏見桃山城の壁間窓に使われていたもので、
作は左甚五郎とある。
図柄は草木類と獅子の子落としを透かし彫りに彫刻され、彩色を施されたもので
右側の草木類が欠損しているが、ほぼ原形が残されている。
親骨の長さが四尺一寸(1.24m)の非常に大きなもので
伏見城のどの辺りで使われていたものか興味深い彫物である。
〈詩仙堂〉
〈追記〉
豊国神社の唐門は、もと伏見桃山城にあったもので
〈豊国神社唐門〉
ここに施されている ‘目無し鶴’ の彫刻が左甚五郎ということである。
〈目無し鶴の彫刻〉
ここに展示されている扇形欄間彫刻
この彫物が かの ‘左甚五郎’ であることが判明した。
詩仙堂に伝わる『詩仙堂誌』の合集目録によれば
この欄間は伏見桃山城の壁間窓に使われていたもので、
作は左甚五郎とある。
図柄は草木類と獅子の子落としを透かし彫りに彫刻され、彩色を施されたもので
右側の草木類が欠損しているが、ほぼ原形が残されている。
親骨の長さが四尺一寸(1.24m)の非常に大きなもので
伏見城のどの辺りで使われていたものか興味深い彫物である。
〈詩仙堂〉
〈追記〉
豊国神社の唐門は、もと伏見桃山城にあったもので
〈豊国神社唐門〉
ここに施されている ‘目無し鶴’ の彫刻が左甚五郎ということである。
〈目無し鶴の彫刻〉